自宅の庭に藤の花をたくさん植えたいAuraです。いい歳した大人ですが、柱合会議ごっこがしたいんです…あ、僕は柱を眺める隠の役がいいです!笑
そして藤の花の育て方を、しのぶさんに教わりたいですね。
さて、今回は蟲柱・胡蝶しのぶについての一考察をしていきたく思います。
※単行本19巻までのネタバレ注意です。「まだ遊郭編アニメまでしか見てないよ~!」という方がおられましたらUターンしてください 笑
『鬼滅の刃』における原動力としての「怒り」
しのぶさんの話へ入るより先に、前提となるポイントにまず触れます。
それは、『鬼滅の刃』においては「怒り」が大きな行動原理として押し出されているということです。
1巻で、水柱・冨岡義勇は「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」から始まる一連のセリフで炭治郎を叱咤しました。
この時心中では「怒れ 許せないという強く純粋な怒りは 手足を動かすための揺るぎない原動力になる」と思っています。
ここで出てきた「原動力」とは、一般に言う「行動原理」のことであると理解できるでしょう。
そして12巻でも、霞柱・時透無一郎に憤慨し、炭治郎へ厳しい稽古をつける小鉄少年に対して、作者によるモノローグがつけられています。
「つまるところ怒りというものは人を突き動かす原動力となる」
ここで義勇さんを(セリフなしで)登場させ、1巻とリンクできるようにしていることからも、作中人物視点と作者視点のどちらでも「怒り」の重大性を伝えているのが分かります。
僕は怒るより先に悲しさとか虚しさが去来するタイプなので、義勇さんに叱り飛ばされちゃう…!! 笑笑
もちろん、「怒り」の感情とは『鬼滅の刃』に限らずあらゆる創作物で扱われている題材でしょう。
ただ、「怒り」の主たる用い方で作風の違いがあります。
他の作品では、友情のため、愛するもののため、信じる正義を貫くため……といったことを行動原理の中心とするキャラクターを多く見出すことができます。
(『鬼滅の刃』でもこのようなキャラクターはいますよね)
また、バトル系の作品では特に、激闘の中で「怒り」を得る描写がなされることが多いです。
これは言わば、キャラクターが一時的なブーストをかけるため(メタ的には物語を熱く盛り上げるため)の「怒り」になります。
一方『鬼滅の刃』では、初めに書きましたように行動原理としての「怒り」が前面に押し出されています。
しのぶさん(や炭治郎)のように「家族を殺された」ことがきっかけで鬼殺隊に入れば、程度の差はあれ「怒り」を覚えるのも当然です。
そして彼女はほとばしる「怒り」を以て原動力とし、戦い続けたのです。
『鬼滅の刃』は復讐譚としての側面もあるので、「怒り」がテーマになりやすい素地があると考えてもいいでしょう。
しかし、炭治郎はまだ「怒り」に染まり切ってはいません。7巻で炭治郎はカナヲに、こんな言葉をかけています。
「人は心が原動力だから」「心はどこまでも強くなれる!!」
義勇さんは炭治郎に「怒りは揺るぎない原動力になる」と言い「怒り」を焚きつけていましたが、炭治郎は「心」という「怒り」だけに限定しない広く温かな視点を持ち続けています。
「怒り」って入力しすぎて僕の中でそろそろゲシュタルト崩壊してきました 笑
「怒り」を体現する胡蝶しのぶ
では、『鬼滅の刃』において、この「怒り」を最も体現しているキャラクターは一体誰になるか……ということです。
と言っても、記事のタイトルの時点でもう答えが見えていますね 笑
つまり、その人こそが胡蝶しのぶなのです。物語の初めに「怒り」を顕示した義勇さんではないのもポイントです。
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義勇さんの「怒り」
1巻にて、炭治郎を叱咤した義勇さん。後の巻を見ても(19巻まで)、この時ほど激情的になる場面は見受けられません。
しかし1巻で「怒り」を見せた理由が、かつての非力だった己自身の姿を炭治郎に重ねて怒っていたから、と容易に了解されると思います。
15巻にて、義勇さんの本心が明かされています。
「一体の鬼も倒さず助けられただけの人間が果たして選別に通ったと言えるのだろうか」
「俺は水柱になっていい人間じゃない」
義勇さんは最終選別を錆兎と共に受け、錆兎に助けられた自分は選別に通るも、一方の錆兎本人は死んでしまった…。
自分にもっと力があれば…というやるせなさのため、義勇さんは自らに厳しい評価を下し、そして炭治郎に怒りました。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」とは、自分自身への怒りでもあったということですね。
ここで義勇さんは、炭治郎から「錆兎から託されたものを 繋いでいかないんですか?」と言われ、姉がつないだ命、託された未来をつないでいこうと前を向くことができた訳ですが…。
初めに炭治郎を導いた義勇さんが、今度は炭治郎に手を差し伸べられるという展開……いとエモしですよ……….。
義勇さんは「蔦子姉さん 錆兎 未熟でごめん…」と悔恨を拭うことができました。
ある意味では、「怒りを克服した」と言えるかもしれません。
しのぶさんの「怒り」
では、いよいよしのぶさんの方を見ていきましょう。
義勇さんは「怒り」を示しつつもやがては鎮められていますが、ご存知の通り、しのぶさんのそれは実に烈しいものでした。炭治郎との対照性にも着目していきます。
そもそもしのぶさんが鬼殺隊に入ったのは、鬼に家族(両親)を殺されてしまったことがきっかけでした。(17巻)
近い理由で鬼殺隊に入ったキャラクターは数多いです。主人公である炭治郎に始まり、義勇さん、時透くん、悲鳴嶼さん、不死川兄弟などなど…。
しかしこの中でも、しのぶさんは特に殺意が強い方だと言えるでしょう。比較していきます。
〇 炭治郎:両親や弟妹を殺されてしまいます。時折鬼に対して憎悪を向けることはありますが、情けを見せるなど優しい性向をしています。
〇 義勇さん:姉を喪っていますが、憎しみに囚われている描写はありません。
〇 時透くん:兄と共に喰われそうになりました。その時「怒り」により鬼を撃退します。鬼殺隊入隊後も「怒り」ながらひたすら鍛錬。
彼も「怒り」が行動原理のキャラのひとりでしょう。しかし普段から怒りっぱなしというわけでもありません。口は悪いですが…笑笑
「腹の底から噴き零れ出るような 激しい怒りだった」
「死ぬまで消えない怒りだ」
〇 悲鳴嶼さん:鬼に襲撃され、寺で養っていた孤児を守るため奮闘しました。「怒り」とはちょっと違ってそうです。
〇 不死川兄弟:鬼と化し他の兄弟を殺した母親を実弥が手にかけます。
玄弥はその時、実弥に心無い言葉を浴びせたことを謝るため鬼殺隊に入っているので「怒り」ではありません。一方の実弥は殺意マシマシですね 笑
炭治郎との対照性という観点で今回はしのぶさんに焦点を当てます。あと実弥は19巻までだと考察材料が足りないんです…笑
胡蝶カナエの想い
しのぶさんの「怒り」を決定的にしたのは、姉・カナエの死でした。
上弦の弐・童磨に致命傷を負わされ、しのぶさんの腕に抱かれながら息を引き取ります。
カナエは、今わの際にしのぶさんに二つの想いを託します。(6巻)
①「哀れな鬼を斬らなくて済む方法」を考え続けること
②「姉が好きだと言ってくれた笑顔」を絶やさないこと
カナエは炭治郎のように優しい性格で、自分が死ぬ間際ですら鬼に同情し哀れむ人物であったことも語られています。
両親を殺されているのに、なお慈愛に満ちているのです。それゆえ「鬼を斬らなくて済む方法」を考えてほしい、と。
姉妹でもしのぶさんの鬼への態度とは様相が異なります。
次に、「斬らなくて済む」という言い方を、「斬らずに殺す」と「殺さなくても済む」の二通りで解釈してみましょう。
前者であれば、毒で鬼を殺すことの一応の説明になりますが、しのぶさんは筋力が低く頚が斬れないため、代わりとして、ある意味では必然的に毒を用いている訳です。
よって後者の解釈=「殺さなくても済む」が妥当と言えます。
(カナエの優しい性格を踏まえればこちらの方が自然でしょう)
これにより、禰豆子を治すため(鬼舞辻を戻すため)の薬や、童磨を倒すための毒の共同研究に、珠世と取り組むことへつながっていきます。(15巻)
そして「姉が好きだといってくれた笑顔」…。
7巻巻末の番外編にて、胡蝶姉妹の過去が描かれており、この当時のしのぶさんは表情も硬く、怒りっぽい性格なのが分かります。
そんなしのぶさんにカナエは「姉さんはしのぶの笑った顔が好きだなあ」と言葉をかけていました。
今わの際にも同じことを言われたしのぶさんは姉に託された想いをつなぐため、6~7巻などで見られるように、常に笑みを湛えた、たおやかな乙女であろうとするのです。
しかしそれはカナエの人格をなぞった表面上のものに過ぎず、積もりに積もった「怒り」を覆い切ることはできませんでした。
事実、蝶屋敷で炭治郎に「怒ってますか?」と尋ねられ、しのぶさんは「いつも怒っているかもしれない」「私の中には怒りが蓄積され続け膨らんでいく」と答えています。(6巻)
「なんだかいつも怒っている匂いがしていて」
「ずっと笑顔だけど…」「私の中には怒りが蓄積され続け膨らんでいく」
しのぶさんはカナエの想いをつなごうとしていましたが、「だけど少し…疲れまして」と本音を吐露。
そして炭治郎へ「自分の代わりに頑張っていると思うと安心する」と言い、会話を終えます。
それまで笑顔を見せていたしのぶさんですが、この場面での炭治郎との会話では表情があまり見えません。
また、善逸も“音”を聞いて、しのぶさんの表面と内心の乖離に気づいていました。(6巻)
「規則性がなくてちょっと怖い」
僕は鬼滅の刃はアニメから入ったんですが、このシーンを見たとき「えっ、ししし死亡フラグ立ってるやん…。しのぶさんに死なれると一番心が深刻なダメージ負うからやめて…!!お願いワニ先生……!!!」って思ってました 笑
「怒り」に浸っていくしのぶさん
15巻にて炭治郎たちが最終決戦に備え柱稽古に励む一方、しのぶさんはそこに加わることができませんでした。
この時彼女はカナエの霊前で「姉さん私を落ち着かせて」「感情の制御ができないのは未熟者 未熟者です」と念じていました。
祈ることで一旦は鎮まったようですが、いよいよしのぶさんは「怒り」に浸りつつあったのです。
しのぶさんが柱稽古に参加できなかった理由は明確にされていませんが、この場面の直後に珠世が耀哉(の使いのカラス)から提案を持ちかけられているので、先述のように協同研究に取り組んでいたと考えるべきでしょう。
(公式ノベライズ『片羽の蝶』では、毒の研究のため参加できなかったと明言されています。)
しかしそれも本当は気が進まないものであったことが19巻で明かされています。たとえ協力者でも、鬼である限り憎いということです。
「共同研究の時ピリつく二人 相性悪め」
そもそも禰豆子の一件を振り返っても、義勇さんは可能性を信じ生かしました(1巻)が、しのぶさんはあくまで殺そうとしていました。(6巻)
ただ、耀哉の助言もあってしのぶさんはそんな気持ちを抑え研究を進めます。
カナエの想いに応えるため、そして何よりも、己が命と引き換えに童磨を倒すために。
童磨との対峙:怒れる「片羽の蝶」
童磨戦にて、しのぶさんはついに蓄積していた全ての「怒り」をあらわにします。
カナエを殺した仇敵を目前にしているとはいえ、これまでには決して見せなかった表情と言葉の数々で童磨に迫ります。(16巻)
「正気とは思えませんね」
「貴方頭大丈夫ですか?」
「本当に吐き気がする」
「つらいも何もあるものか」
「私の姉を殺したのはお前だな?」
「この羽織に見覚えはないか」
表面上とはいえ今まで温和な笑顔を浮かべていたしのぶさんの凄絶なる「怒り」。あまりに痛ましいその姿にギャップで心が風邪をひきそうです……。
炭治郎でさえここまでの怒気を発することはありません(19巻時点)。しのぶさんはもう引き返せないところまで来てしまっていました。
しかし、しのぶさんよりも才覚に恵まれ、柱であった姉のカナエでさえ、童磨には敗れています。
※補足:不死川実弥の回想にて、カナエが柱合会議に参加しているので柱だったことが分かります。
また、これは豆知識ですが、隊服のボタンの色は柱が金色、それ以外の階級が薄い藤色と決められています。公式ファンブックの設定読むまで気づかんかった…!!笑
童磨を倒すためにしのぶさんは奮闘し何度も毒を打ち込みますが、全て分解されてしまいます。
ついには深手を負わされ諦めかけていた時、カナエは「怒り」に飲み込まれていたしのぶさんを認め、発破をかけてくれました。
そして、カナエの形見である羽織の片袖を引き裂かれつつも、童磨へ渾身の一撃を叩き込みます。
それはまさしく「片羽の蝶」となったしのぶさんの、最後の羽ばたきでした。
ただ、「片羽の蝶」ではもう空を舞うことはできません。羽織=羽を失った蝶は落ちて行きます。
あるいは「片羽の蝶」とは、カナエを喪いひとり残されたしのぶさんのことでもあると言えるでしょう。
なお、「できるできないじゃない」「やらなきゃならないことがある」という信念は、元は悲鳴嶼さんが幼き日のしのぶさんにかけた言葉であったことが、公式ノベライズ『片羽の蝶』で語られています。
童磨への復讐:全身に仕込んだ毒が意味すること
しかしながら無情にも、またしても毒は無効化されてしまいます。
そのため彼女は捨て身でわざと童磨に吸収され、一年以上をかけ全身に仕込んでおいた毒で弱体化させる戦法をとりました。
その覚悟を決める直前に、しのぶさんは蝶屋敷での炭治郎の言葉を思い出していました。
「怒ってますか?」
「ずっと ずーーっと怒ってますよ」
6巻での「私の中には怒りが蓄積され続け膨らんでいく」という言葉を踏まえると、童磨を屠るための毒……全身に浸潤した毒とはすなわち、文字通り骨髄に徹した彼女の「怒り」そのものだったのです。
鬼を蝕む毒。しかしそれはまた、しのぶさん自身をも蝕む毒となっていました。
「怒り」を原動力/行動原理として走り続けたしのぶさんは、カナエの「笑顔でいて」という想いをつなぎ切れず、最期のその時まで「怒り」っぱなしでした。
ただそれでも、カナエの仇を討つことができたのです。
(しのぶさんの死が描かれる第143話のタイトルは「怒り」)
とどめとして、炭治郎やしのぶさんとの交流を通じて人間味を得たカナヲと伊之助が、感情をろくに持たない童磨を斬る。
煉獄さんと猗窩座が、「誰かを守り抜けたかどうか」という点で対になる造型となっているのは分かりやすいと思いますが、この戦いも対照的な関係性であることが解せます。
また、童磨の血鬼術が「氷」であるのは、常に笑みを浮かべる表面とは裏腹に、感情を持たぬ凍てついた心の持ち主であることを象徴しています。
表面と内心が乖離している、という方向性だけは皮肉にもしのぶさんに似ていると言えるかもしれません。
……いやだァ!しのぶさんと童磨が似てるだなんて!!しのぶさんは好きだけど童磨は好かんので一緒にしたくないヨォ!!!あっ、童磨推しの方がいたらほんとごめんなさいィ!!!
そして、死後の世界で「怒り」から解き放たれ、鬼殺隊に入る以前の、真実の笑みを湛える少女となったしのぶさん…。
彼女の「怒り」と命は、ようやくここで散華することとなったのです。
うう、彼女には生きて幸せになってほしかった……煉獄さんといい、僕の推しの柱はみんな……!!!泣
「怒り」を超える炭治郎
僕の言いたかったことは大体書けましたし、長くなってきたので手短に行きます! 笑
しのぶさんと炭治郎もまた対照的であることが分かります。
分かりやすいところでは、しのぶさんが「鬼と仲良くできない」「鬼が憎い」、炭治郎は「鬼とも進んで協力できる(珠世と愈史郎)」「鬼にも優しさを持つ」という点です。
そして、僕が特に言いたいのは、しのぶさんが「蓄積し続けた怒り・憎しみに囚われる」一方で、炭治郎は「怒り・憎しみを超える」ということです。
「怒り」を行動原理とすること自体の是非はまだ判断し難いのですが、炭治郎は戦いの中で「怒り」を超克しようとする描写があります。
猗窩座戦にて、頚を斬るために炭治郎は「至高の領域」「透き通る世界」へと至るため、心を平静に保とうとします。
「その瞳の中には 憎しみも怒りもなく 殺気も闘気もなかった」
これにより結果として猗窩座を打倒できていますから、行動原理としての「怒り」は超えられるべきものなのかもしれません。
ただ、19巻までの情報ですし、もしかしたら何か裏があるのかも…と思ってます 笑
もし本誌で真相をご存知の方がおられましたら、ただフフフと笑って僕には内緒にしていてください 笑笑
【追記】
22巻の無惨の回想にて、鬼殺隊史上最強の継国縁壱も「怒り」を越えた領域にいたことが明かされました。
無惨の記憶の一部が猗窩座に共有されたことで、「闘気や殺意がない」という同様の言い回しがされていたのでしょう。
言わば明鏡止水の境地に至ることが、鬼を討つにあたり重要であったことが分かります。
おわりに
しのぶさんが鬼を倒すため用いていた毒。しかしそれは、彼女の中に蓄積し続けた「怒り」そのものでした。
『鬼滅の刃』における行動原理としての「怒り」を体現する彼女の姿は、ひょっとすると炭治郎の辿る未来の可能性のひとつだったかもしれないと言えるでしょう。
すなわち、煉獄さんが炭治郎に最も影響を与え導いた人であるなら、しのぶさんは炭治郎も持っている「怒り」が結実した形を示す人なのです。
嗚呼…童磨戦がアニメ化したとき、僕の涙腺はどうなってしまうんでしょう……笑
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