どうも、トフィーです。
今回は『NARUTO-ナルト-』のキャラクターやストーリーの中で用いられている「対比構造」や「伏線」についてまとめてみるという、ニッチな視点での記事にしてみようかと思います
『NARUTO-ナルト-』で対比と言えば、個人的には「逆だったかもしれねェ…」という主人公・うずまきナルトの台詞(単行本52巻・485話)がぱっと思い浮かびます。
よくコラ画像などでネタにされている台詞でもありますが、割と真面目に『NARUTO-ナルト-』の中には「逆だったかもしれねェ…」というキャラクターの組み合わせがたくさんあるのです。
では、具体的にどこがどう対比になっているのか、これからいくつかあげてみようかと思います。
最終話まで、全巻を通してのネタバレを含みますので、これから読み始めようという方はご注意くださいませ。
1.ナルトとサスケ
まず一つ目に紹介させていただく「逆だったかもしれねェ…」組み合わせは、うずまきナルトとうちはサスケです。
この2人に関しては対比の構造になっているというのも、多くの方が感覚的に納得できるのではないかと思います。
ストーリー序盤を比較しても、かたや「分身の術」さえも満足にできない落ちこぼれ。
かたや名門うちは一族の出身にして、「火遁・豪火球の術」などを習得しカカシを驚かせるほどのエリート。
そんな二人ですが、本質的には「孤独」という部分で一致しています。
ナルトは九尾事件で、サスケはイタチによる一族抹殺によって両親を亡くしています。
それから二人は片や九尾の人柱力として、片やとうちはの生き残りとして、孤独を抱えながら生きてきました。
「孤独」というワードについては、作中でも何度か触れられています。
特に疾風伝のラスト、「終末の谷」での二人の戦いの中で、「影分身は孤独を紛らわせるための術だ!」とサスケが口にしていることからも、二人の「孤独」という共通点は意識的に設定されたものだと感じ取れます。
また同じくアニメでの最終戦の中で、ナルトの螺旋丸にみんなの手が添えられていくのに対し、サスケの千鳥にはイタチのみが手を添える演出を覚えている人も少なくないのではないかと思います。
孤独という境遇は非常に似ていたものの、辛いときに寄り添ってくれる人がいたかどうかの違いで、ナルトとサスケは進む道を変えたのです。
ストーリーの終盤へと話が飛びましたが、ここでまた改めて序盤から見ていきましょう。
ナルトはイルカ先生というよりどころを見つけ、里のみんなから認められる火影を目指します。
対してサスケは復讐を掲げたまま、闇の中へと沈んでいきます。
ナルトなど第七班の仲間などサスケを気に掛ける人も現れはしましたが、木の葉崩し編後にイタチが里を訪れたことをきっかけに、結局は復讐心が勝ってしまい、自ら孤独へと突き進んでいくのです。
少年編の終盤、ナルトは繋ぎ止めるために、サスケは断ち切るために終末の谷で戦います。
そして第一部の戦いではサスケが勝利して大蛇丸のもとへと向かってしまいます。
それから時が流れ、疾風伝に移ったあとで二人の光と闇の側面がより強調されていきます。
特に違いが現れ出したのは、自来也とイタチの死後でしょう。
ナルトが仇のペインを倒し英雄視される一方で、サスケは仇のイタチを倒した後も五影会談を襲撃し忍五大国を敵に回すなど犯罪者へと堕ちていきます。
サスケVSダンゾウの後の香燐の台詞、「……こいつ…サスケとは正反対だな…」「こいつのチャクラは…すごく……」「明るくて温かい…」を見ても、この二人は特に対比的に描かれているのがわかるかと思います。
その後の第四次忍界大戦のなかでも、二人がそれぞれ「アシュラ」「インドラ」の転生者であったことが明かされます。
そして再び、終末の谷の戦い。
二人は真逆の火影像を掲げて衝突します。
ナルトは「“火影になった者”が皆から認められるんじゃない。“皆から認められた者”が火影になるんだ。…仲間を忘れるな」というイタチの言葉を重んじます。
対してサスケはイタチの生き様から、火影とは「五里全ての闇を己の炎一つで焼きつくしその灰を喰らって生き続ける者」だという真逆の解釈を示します。
そうして二人は衝突し、今度はサスケが負けを認め、和解することができたのです。
……といった感じで、ダイジェストではありましたが、順を追ってストーリーを見ていっても対比的に感じられるところはいくつも確認できます。
さすが、今作における主人公とそのライバルですね。
今度は少し視点を変えてみます。
というのも、忍術という観点からしても、いろいろ対比していると考えられるものがあるのではないかと思うのです。
たとえば、ナルトの「螺旋丸」とサスケの「千鳥」も対比していると言えると思います。
螺旋丸が「形態変化」を極めた術であるのに対し、千鳥は「性質変化」を極めた術を使用します。
他にもナルトは、影分身の術、変化の術、螺旋丸、口寄せの術とその派生形の術を使用しますが、基本的に少数の術を応用するスタイルです。
他方でサスケは、火遁や雷遁の他、万華鏡写輪眼による幻術や炎遁・加具土命、須佐能乎、輪廻眼の天手力など多種多様な術を使います。
また、「仙人モード」(ガマ仙人由来の正当な仙術)と「呪印」(重吾由来の人工的な仙術)というのもある一応対比と言えるのではないかと思います。
※呪印についてはイタチによって取り除かれたため、ここの対比は微妙かもしれませんが。
以上のように、「忍術」や戦闘スタイルを比べてみても、ナルトとサスケが対比的に設定されていることが感じとれます。
つぶさに原作を見返していけば、他にも対比的に創られている箇所が確認できるかと思いますが、とりあえずナルトとサスケについてはこのあたりで留めておきます。
2.ナルトと我愛羅
さて次の「逆だったかもしれねェ…」は、ナルトと我愛羅です。
この2人の共通点は、サスケの時以上にわかりやすく「人柱力」です。
それに加えて(明かされるのは疾風伝になってからではありますが)ナルトが火影の子であるのに対し、我愛羅は風影の子として生まれ、影の名を背負う者の子というところが共通しています。
それから後に、互いに影の名を背負うようになることも共通しています。
このようにナルトと我愛羅の境遇には大きな共通点がいくつも見られますが、少年編では真逆な描かれ方をしていました。
というのも、少年編でのナルトは明るいお調子者として描かれているのに対し、我愛羅は姉のテマリや兄のカンクロウからさえも恐れられる存在として描かれていました。
そう、ナルトとは異なり、我愛羅には父・姉・弟といった身内がいたのです。
それにもかかわらず、我愛羅がナルトとは異なる狂気と化してしまった要因としては、サスケとの項目でも触れた、イルカ先生のような心のよりどころの有無が挙げられるでしょう。
我愛羅が狂ってしまった直接的な原因は、信頼を寄せていた夜叉丸に突き放されたことです。
後に疾風伝の戦争編の中で、四代目風影である父・羅砂によって誤解であったことが明かされますが、少年時代の我愛羅は絶望したまま「我を愛する修羅」として生きることを決意しています。
しかし最終的にはナルトが正面からぶつかり合い、我愛羅に対して共感を示したことで生き方を改めることになるわけです。
それ以降の我愛羅の成長には、なかなかグッとくるものがあります。
個人的に『NARUTO-ナルト-』において、もっとも成長したキャラクターは我愛羅ではないかと思います。
さて、この2人については、ナルトが「承認された人柱力」であるのに対し、我愛羅は「承認されなかった人柱力」として対比的に描かれていた……とまとめることができたのではないかと思います。
少し育て方を間違えられていれば、この2人の人生もまた「逆だったかもしれねェ…」ものになっていたかもしれませんね。
3.ナルトとオビト
ナルトとうちはオビトについても、わかりやすく対比的に描かれている組み合わせだと思います。
この2人も「逆だったかもしれねェ…」関係にあります。
彼らの対比関係について簡単にまとめると、「火影を目指した少年と、火影を諦めた少年」といったところでしょうか。
ナルトは、カカシ班の中でのお調子者であり、同期のエリートであるサスケにライバル心を燃やしていました。
一方でオビトは、ナルトと同じくお調子者で、同期のエリートであるはたけカカシにライバル心を燃やしていました。
また、同じ班に所属している少女・春野サクラと、のはらリンに対してそれぞれ恋心を抱いています。
しかも当の少女たちは、サスケやカカシといったライバルを気にしており、片思いの状況にあるというところまで似ています。
少年期を見ると、スリーマンセル単位で対比的に描かれていることがわかりますね。
ナルトの歩みについては先の2項目で散々触れているので省きますが、オビトについては神無毘(かんなびきょう)の戦い以後、闇に堕ちていくことになります。
写輪眼を託したカカシがリンを千鳥で貫く場面を目にしてしまい、忍の世界に絶望してマダラから持ちかけられた月の眼計画を実行するべく、暁を立ち上げてトビやマダラなどの複数の名を使い分けながら暗躍することになるのです。
そして第四次忍界大戦を引き起こして十尾の人柱力となりますが、ナルトとの対話をきっかけに火影を目指していたころの自分を思い出し改心します。
このようにナルトとオビトには複数の共通点がありつつも、その歩みは決定的に違うものとなりました。
しかし、歯車が狂わなければオビトがナルトのように成長していた可能性もありますし、逆にナルトがオビトのように闇に堕ちていた、つまり「逆だったかもしれねェ…」可能性もあるわけです。
主人公と敵のボスが、表裏一体の関係にあるのは王道的でありながらも熱いですよね。
また余談ですが、対比という観点では、ナルト&サスケの組み合わせと、カカシ&オビトといった組み合わせレベルで見ても面白いです。
オビトについては闇堕ちしたナルト、カカシについては闇落ちしなかったサスケという対比的な関係として見ることができるのではないでしょうか。
4.ナルトと長門
ナルトと長門についても、かなり対比的な関係にあると見ることができます。
2人の共通点として、真っ先に思い浮かぶのは「自来也を同じ師に持っている」という点です。
つまり2人は弟弟子と兄弟子の関係にあります。
(ついでに同じうずまき一族の人間であり、六道仙人にまつわる力を使うようになるといった点も共通しています。)
それにもかかわらず、長門はペインを操って木の葉を崩壊させ、一方でナルトがペインとの戦いを終わらせて木の葉を守った英雄となるなど、まったく違った歩みを見せるわけです。
片や自来也の弟子として光の道を歩み、片や自来也の弟子でありながらも闇に堕ちてしまう。
でも、平和を願うという根底にある想いは同じだったからこそ、自来也の遺した小説をきっかけに和解することができたのです。
余談ですが、暁のコンビって何かしらの共通点や小ネタが仕込まれていますよね。
・イタチと鬼鮫……動物名、同胞殺し
・長門と小南……神と紙
・サソリとデイダラ……芸術
・飛段と角都……不死
・オビトとゼツ……暗躍者
神と紙は若干ネタ感もありますが、こうして書き連ねて見るとなるほどなぁ……と思います。
5.波風ミナトとうちはイタチ
続いての対比関係にある二人は、波風ミナトとうちはイタチです。
この2人に関しては直接的に交流があるわけでもなく、「逆だったかもしれねェ…」という観点からするとそうでもありませんが、割と対比的な立場にはあると思います。
波風ミナトは主人公のナルトの父親、うちはイタチはサスケの兄とそれぞれ血縁関係にあります。
どちらも忍としての能力は非常に高い、「天才」です。
特にミナトは四代目火影にまで就任していますが、最終的には命を賭してナルトを守り、九尾という力を遺して死に逝きます。
対してイタチの経歴もなかなかにすさまじいです。
イタチは7歳で忍者学校を主席で卒業し、8歳で写輪眼を開眼したり、10歳で中忍になったり、13歳で暗部の部隊長にまで昇りつめる……という異例の経歴を有しているのです。
しかしイタチは、弟と里を守るためにうちは一族抹殺の任務を遂行し、犯罪者として生きていくことを強いられます。
そして最終的にはサスケとの戦いに敗れる道を選び、万華鏡写輪眼という力を遺して死に逝きます。
後にすべてを知ったサスケは、イタチことを「真の火影」と評しています。
このように光と影、それぞれ異なる道を歩んだ二人ではありますが、里のためにすべてを賭け、後に残るナルトやサスケに力を託して逝くような生きざまは、対比関係にあると見てとれるのではないかと思います。
また二人とも穢土転生の術で再登場し、ナルトとサスケに託して消えていく、という流れも共通していますね。
6.その他
さて、そろそろ疲れてきたので最後は個人的に「ここは対比なんじゃね?」と思う部分を雑多にあげていこうかと思います。
①終末の谷
・少年編と疾風伝、それぞれにおける最後の戦いが行われた地。
・少年編ではサスケが勝利し、疾風伝ではサスケが敗北を認める。
・また細かいところだと、少年編では天候が雨で終わり、疾風伝では晴れて終わる。
②鈴取り合戦
・それぞれ少年編と疾風伝の序盤で行われる。
・少年編では鈴を取ることができなかったが、疾風伝では見事に鈴を奪い取ることができる。
・ナルトたち第七班と対比的なフォーマンセル、ミナト班や伝説のヒルゼン班(三代目と伝説の三忍)たちも実施。
③水牢の術と水分身
・少年編と疾風伝での初任務において、それぞれ敵が使用する。
・少年編では桃地再不斬が、疾風伝では干柿鬼鮫が使用、二人とも元忍刀七人衆。
・少年編では生徒が先生を救出、疾風伝では先生が生徒を救出する。(これに関しては、ややこじつけっぽいですが……)
④VSかぐや一族
少年編と疾風伝の最後は、それぞれナルトとサスケの戦いで締められますが、その一つ前の戦いについては、どちらも「屍骨脈(しこつみゃく)」を有する敵と戦っています。
実は一部の強敵・君麻呂は、二部のラスボス・大筒木カグヤの子孫だったのです。
あ、これ以上、特に深い掘り下げはありません。
7.おわりに
以上、『NARUTO-ナルト-』における「逆だったかもしれねェ…」のまとめでした。
ここでとりあげているもの以外にも、まだまだたくさんの「逆だったかもしれねェ…」が潜んでいるかもしれません。
こんな「逆だったかもしれねェ…」があるよーという方は、コメントなどで教えていただけると嬉しいです。
またちなみに『NARUTO-ナルト-』完結後の物語が描かれた『BORUTO-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS-』においても、「逆だったかもしれねェ…」は出てきます。
詳細は伏せますが、まさかこんな形で「逆だったかもしれねェ…」が来るとは、という衝撃的な使い方をされていますので、興味のある方は読んでみてもいいかもしれません。
それでは、ここまで読み進めていただき、ありがとうございました!