鬼滅の刃にハマった当初、単行本勢なので本誌勢のネタバレを地味に怖れていたAuraです。街中で、近くにいた人たちが「最新話でさー…」と派手にネタバレトークをし始めた時は慌ててUターンしてその場から逃げました。
音柱・宇髄天元の口癖に影響されてしまいました 笑
それだけ彼の「派手」な生き様は見ていて魅力的です。ただ、彼のその豪快な「派手さ」には、意外な一面が隠れているのです。
これを炎柱・煉獄杏寿郎と絡めて考えていきます。※「れん」が変換できませんでした…。
また、霞柱・時透無一郎へも関連する要素があるので併せて取りあげます。
宇髄さん、煉獄さん、時透くんが主だって活躍する7~15巻では、「才能」と「選ばれた人」という言葉が読み解く上でのひとつのカギになっています。
©2019 吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
※単行本15巻までのネタバレ注意です。遊郭編アニメの結末まで盛大にネタバレしてます。
また、この記事の内容の一部は、過去記事から持ってきたものです。そこで語り切れなかったので、今回新しい記事にしました 笑
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宇髄天元には「才能がない」?
「派手」を重視することの根底にある思い
宇髄天元はかつて忍でしたが、その「地味」な生き方を厭い、「派手」を志向するようになりました。
まだ忍だったころ、同じく忍の弟が「ひたすら無機質」に見え、「俺はあんな人間になりたくない」と宇髄さんは回想しています。(10巻)
その反動ゆえに「派手を司る神」を自称(9巻)し、ことあるごとに「派手に~」と口にしています。
「派手を司る神……祭りの神だ」
そんな宇髄さんの姿は、非常に力強く豪快で、もう「派手になりきった」ように見えます。
しかし宇髄さんは自分の力不足を痛感していて、まだ「派手さ」が足りないと思っているように見て取れるのです。
見た目はもう十分に派手っすよ宇髄さぁん!
実は、宇髄さんは「他人がいるとき『派手』をよく言っている」傾向を見出せます。
(上に貼った過去記事に全用例を載せています)
そのため、「派手に~」という口癖には、自分が「派手でありたい(派手であることを重視したい)」という願望、あるいは指針を他人に示す目的が込められているのでしょう。
「才能」を比べてしまう宇髄さん
宇髄さんが力不足を痛感していることが読み取れるのは、遊郭での戦いの際、妓夫太郎に才能が妬ましいと言われた時の返答です。
「俺に才能なんてもんがあるように見えるか?」
「俺が選ばれてる?ふざけんじゃねぇ」
「俺の手の平から今までどれだけの命が零れたと思ってんだ」
柱にまでなれても、救えない命がある。その事実は宇髄さんにとって重くのしかかるものなのでしょう。
実際この戦いで救えなかった命もありました。
そして宇髄さんはこの時、自分の「才能」の比較対象として、炎柱・煉獄杏寿郎と霞柱・時透無一郎(と岩柱・悲鳴嶼行冥)を思い浮かべています。
「刀を握って二月で柱になるような奴もいる」
「そう 俺は煉獄のようにはできねぇ」
これらの発言を見ると、宇髄さんは「自分には才能がない」と思っている節のあることが分かります。
そして何より、「煉獄のようにはできない」という言葉が気にかかります。
「派手を司る神」とまで自称していたことからは想像もつかないような、意外な本心が隠されていました。
これは、単なる自己卑下的な劣等感…と言うよりは、煉獄さんの気高さや凛々しさにただ圧倒されていた、と見るべきでしょう。
耀哉の後押しで、煉獄さんに並び立てた宇髄さん
この遊郭での戦いの前に、煉獄さんは上弦の参・猗窩座との戦闘の末に命を落としてしまいます(無限列車編・8巻)。
猗窩座との戦いの最中、煉獄さんは母に言われた言葉を思い出していました。
「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は その力を世のため人のために使わねばなりません」
煉獄さんはこの言葉の通りに「才能ある者」としての責務を全うし、炭治郎たちをまさに命に代えて守り切りました。
宇髄さんは自分の力不足ゆえに「俺は煉獄のようにはできねぇ」という思いが生じたのです。
しかし「命は賭けて当然 全てのことはできて当然」と考え、煉獄さんのように柱としての使命を果たすため奮起します。
ただ、この命を賭すという考え方は、元々宇髄さんが厭う忍の考え方でした。
「命は賭けて当然…」の後に「矛盾や葛藤を抱える者は愚かな弱者 ずっとそんな環境でしたから」と続いています。
「そんな環境」とはつまり、以前の忍としての人生を指していると言えるでしょう。
しかし、耀哉と出会い心境に変化が兆します。
「様々な矛盾や葛藤を抱えながら君は 君たちは それでも前を向きながら戦ってくれるんだね 人の命を守るために」
耀哉は、宇髄さんのそれまでの生き方を受け止めた上で、背中を押してくれました。
その言葉に感謝していた宇髄さんは、遊郭でもう一度「命を賭けて」戦うことを決意するのです。
しかし以前とは「命を賭ける」ことの意義が違います。忍の時は、任務のための使い捨て。柱である今は、人の命を守るため。前向きな決意ですね。
結果として、宇髄さんは(炭治郎たちの力も借りながら)自分の命に代えても救いたかった三人の嫁、須磨・まきを・雛鶴の命を守り抜くことができたのです。
代償は大きく、負傷して柱を引退することにはなりましたが、きっと宇髄さんは胸をなでおろしたことでしょう。
代々柱を受け継ぐ名家出身の煉獄さん。彼に比べれば確かに宇髄さんは「才能がない」のかもしれません。
しかし柱として奮戦し、守るべき人を守り抜いた宇髄さんは「煉獄のようにできていない」ということは決してなく、肩を並べて彼と同じように責務を全うできたのです。
時透無一郎は「選ばれた人」
宇髄さんは才能の比較相手として、(先にも書きましたが)時透くんの名も挙げていました。
「刀を握って二月で柱になるような奴もいる」
『鬼滅の刃』作中で、炭治郎が長い間修行をこなして強くなっていることを知っている僕たち読者からすると、「たった二月で柱…!?やば……!!」って思いますよね 笑
その凄まじさに宇髄さんが、「俺が選ばれてる?ふざけんじゃねぇ」と言い放っていたのも頷けます。
そして宇髄さんが「選ばれていない人」であるとすれば、時透くんは「選ばれた人」と言えるのです。
「刀鍛冶の里編」において時透くんは、上弦の伍・玉壺を相手に戦いました。
血鬼術で毒を受けた状態だったにも関わらず、なんと単独で討伐します。(14巻)
作者によるモノローグでもこれは強調されています。
「すでに手負いの無一郎が上弦を倒す 確かにこれはとんでもない異常事態」
「遊郭編」で宇髄さんと炭治郎たちが総力戦で上弦の陸を倒していたことを踏まえると、時透くんの強さが分かります。
もちろん時透くんとて人並み以上の努力を重ねたこともまた語られていますが、「才能」が豊かであることは相違ないでしょう。
日の呼吸の使い手の子孫なだけありますね…しかもほんの14歳で…大正の若者は強いのう 笑
そんな時透くんが「選ばれた人」であることは、兄・有一郎の口から語られています。
「お前は 自分ではない誰かのために」
「無限の力を出せる 選ばれた人間なんだ」
時透くんはここで過去の記憶を取り戻したことにより、それ以前とは段違いの強さへと至ります。
「痣」も発現し、先にも述べたように上弦の伍・玉壺をひとりで倒す戦果をあげることができた訳です。
宇髄さんは「選ばれていない人」、時透くんは「選ばれた人」。
両者の間には大きな開きがありますが、それでも「誰かのために戦う」という同じ方向へ収束していったのです。
尊いですねぇ、、、、、
これにより、先ほど挙げた、宇髄さんに向けたお館様の言葉の重みが増すように感じられます。
「君たちは(中略)戦ってくれるんだね 人の命を守るために」
そして戦いの終結後、時透くんも宇髄さんと同じように煉獄さんを思い出していました。煉獄さんの刀の鍔を見て、昔の出来事に思いを寄せ涙を流しています。
時透くんが煉獄さんをどう思っていたのか仔細に描かれてはいませんが、煉獄さんの存在がどこか心の支えになっていたと考えても良いのではないでしょうか。
「柱として共に頑張ろう」
おわりに
宇髄さん、煉獄さん、時透くんの関係性を、「才能」「選ばれた人」というキーワードで紐解いてみました。
7~14巻の連続するストーリーで、これがひとつのテーマとして描き出されているんだなぁと僕は感じました。
三者三様に出発点が異なりながらも、辿り着く先は同じ。そして鬼殺隊における煉獄さんの導きの大きさが分かるのです。
ところで、9巻の「あらすじ」に一言もの申したく、、、
「上弦の鬼・猗窩座に煉獄は敗れてしまう。」
「 敗 れ て し ま う 」
なんだって!?煉獄さんは負けてないんだ!!うあああああああ!!!炭治郎だってそう言ってるぞ!!!
「煉獄さんは負けてない!!」
「誰も死なせなった!!」
でも、10巻のあらすじではちゃんと(?)書き換えられていました。
「だが煉獄は帰らぬ人となってしまう。」
いいでしょう!許します!!笑笑
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