感情の証明は、はたして可能なのだろうか?
どうも、トフィーです。
今回は斜線堂有紀先生の小説『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』について紹介していきます。
「金塊病」という架空の病気を患う女子大生と、彼女に惹かれてしまった少年の物語です。
舞台は片田舎のサナトリウム(高原や海岸に設けられた療養所のこと)。
堀辰雄の『風立ちぬ』を筆頭に、この手の作品は多数存在します。(サナトリウム文学という言葉もあるくらいです)
また舞台がサナトリウムでなくとも、病気を中心に据えた作品は数え出したらキリがなく、現代に至ってもなお人々を魅了してきました。(ここ数年での大ヒット作だと『君の膵臓をたべたい』などですね)
そんな感じで競合の多いジャンルではありますが、今回取り上げる『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』は、他とは違った切り口で物語が繰り広げられていき、疲れ切ったぼくの心に格別な余韻を残してくれました。
夏の終わりに君が死ねば完璧だったから (メディアワークス文庫)
1.あらすじ
最愛の人の死には三億円の価値がある――。壮絶で切ない最後の夏が始まる。
片田舎に暮らす少年・江都日向(えとひなた)は劣悪な家庭環境のせいで将来に希望を抱けずにいた。
そんな彼の前に現れたのは身体が金塊に変わる致死の病「金塊病」を患う女子大生・都村弥子(つむらやこ)だった。彼女は死後三億で売れる『自分』の相続を突如彼に持ち掛ける。
相続の条件として提示されたチェッカーという古い盤上ゲームを通じ、二人の距離は徐々に縮まっていく。しかし、彼女の死に紐づく大金が二人の運命を狂わせる──。
壁に描かれた52Hzの鯨、チェッカーに込めた祈り、互いに抱えていた秘密が解かれるそのとき、二人が選ぶ『正解』とは?
2.『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』感想・レビュー
a.評価と情報
評価:★★★★★
メディアワークス文庫
2019年7月刊行
いや、傑作でした。
こんな素晴らしい作品を生み出してくださった斜線堂先生には、感謝してもしきれません。
詳しい感想については後述するとして、まず最初にこの小説の優れている点を一つだけ挙げるとするならば、「構成の美しさ」でしょう。
「その台詞をここで再登場させるのか」とか、「あの言葉にはこんな意味が込められていたのか」みたいに、読み進めていくうちに何度もハッとさせられたわけです。
こういった構成の美しさという観点で見れば、以前レビュー記事を書きました同作者の『恋に至る病』や『私が大好きな小説家を殺すまで』以上の作品だったかと思います。
人の心を惹きつける物語の作り方が本当にうまい作家だなぁ……、と嫉妬を通り越して崇め奉りたくなるくらい。
とにかく魂が震えました。
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b.作品内容
この物語には二つの軸があります。
①家庭と金
②終わりへと向かうサナトリウムでの日常
以下ではこの二つをもとに、『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』の内容について語っていきます。
①家庭と金
まず①の「家庭と金」について。
主人公の江都日向(えとひなた)には二人の家族がいます。
ひとりは事業に失敗し、無気力になってしまった義父。
そしてもう一人は、「サナトリウムに収容されているのは病人ではなく、国の保有している生物兵器だ」という陰謀論を唱え、日々施設の撤去を求める運動に勤しむ母。(強烈すぎる)
彼の家庭は事業の失敗という困窮から始まります。
そしてまた、彼には金がないために、そんな閉塞的な家からは出ることもできないのです。
母は荒れくるい、彼や義父にあたり散らし、酷な言葉をぶつけてくる。
虐待といってしまっても、問題ないでしょう。
けれども彼は耐え続けたのでした。
彼にはそんな家庭に反発するほどの気力もなく、ただ諦観し、暗く行き詰った未来を受け入れてしまっていた。
けれども金塊病患者の都村弥子(つむらやこ)さんとの出会いが、彼を変えていくことになるのです。
いつか終わりがくるとわかり切っていても、彼の日常は色鮮やかになっていくのです。
ただ、それでも弥子さんの抱える病「金塊病」の性質から、金の問題はつきまといます。
それは家族を含めた周囲の反応だけでなく、彼自身の心にものしかかってきます。
彼が弥子さんのもとにいる理由は、決して三億という大金のためではありません。
ただそのことをいかにして証明すればいいのかといった、呪い染みた苦悩を抱え続けることになるのです。
いや、斜線堂先生、切り込み方が本当にえげつない。
ただのサナトリウムものとせずに、金を絡めての「価値の証明」までをも絡めてくるなんて……。
作中で出てきた「金に至る病」という表現は、言い得て妙だと思います。
余談ですが、先にも取り上げた『恋に至る病』でも『私が大好きな小説家を殺すまで』でも、主人公の家庭環境は決していいものではありませんでした。
後者にいたっては、今作とはまた違ったたぐいの虐待を受けていましたからね。
②終わりへと向かうサナトリウムでの日常
この作品の冒頭は、終盤のワンシーンから始まります。
もうほとんど取り返しのつかない状況にいる二人の姿を先に描写し、「144日前」「143日前」といった具合に、そこに向かって突き進んでいく構成をとっています。
もうクドイくらいに挙げています、同作者の『恋に至る病』と『私が大好きな小説家を殺すまで』と同じです。
今作もまた、「終わりへと向かう物語」なのです。
そして物語の舞台がサナトリウムですから、よけいにそのことを実感してしまいます。
特殊な環境下で、できることが限られてくるからこそ、ささやかな日常が際立つわけですね。
ふたりは毎日のように「チェッカー」というボードゲームに興じながら、互いのことをしっていき心の距離を縮めていくことになります……。
そんな二人の日常を見ていて、もう本当に切ない感情にさせられました。
そして、弥子さんがチェッカーが好きな理由について知ったとき、本当にやりきれない気持ちになりました。
感想・レビューについては一度ここで区切りとします。
以下では、重大なネタバレを含んでの解説をのせていますので、まだ今作をお読みになっていない方はご注意ください。
夏の終わりに君が死ねば完璧だったから (メディアワークス文庫)
また他にも色々な作品のレビューを行っておりますので、もしよければ暇つぶしにでもご覧くださいませ。
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3.『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』ネタバレありの感想
突然ですがこの作品で、ぼくが一番好きな台詞はこれですね。
「私はエトに全部をあげることで好きを証明しようとしたんだけど、エトは捨てることで証明しようとしているんだね。愛情ってさ、もしかしたら、捨てるかあげるかしかないのかな」
『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』p231より引用
なんていうか、今作の魅力がグッと詰まっているんですよね。
それまでの弥子さんの苦悩や、彼女の江都を想う気持ちや、江都の必死さや、作品全体を通しての物寂しい空気。
あと弥子さんだけが、「江都」のことを「エト」って呼ぶさりげない特別感なんかも。それらがココにギュッと濃縮されていて、名シーンの多い今作の中でも、最も印象に残りました。
そしてこの台詞が、二人で病院を抜け出してたどり着いた朝焼けの海を前に繰り出されたという点も美しい。
正直ここで二人一緒に、海の底に沈んでしまうという「過ち」のエンディングでも、ぼく的には納得していたことでしょう。
けれども今作では、そうはなりませんでした。
海にとび込んだものの、江都も弥子さんもともに生き延びて、束の間の日常に戻っていきます。
それから弥子さんは、やはり死んでしまうわけです。
その描写はあまりにも唐突で自然だったから、逆に衝撃が大きかった。
彼女の死の場面に江都さえも立ち会えなかったわけですから、ぼくたち読者が最後に彼女がなにを想って死んでいったのか、その感情を知るすべなどありません。
ただ未遂に終わった心中によって、弥子さんの中で、江都の感情は証明されたものだとぼくは信じています。
弥子さんが残した額は三億円ではなく、彼女の薬指の重さに相当するであろう、十万三百二十六円分だけ。
当初に比べれば本当にささやかな額ではありますが、そのささやかさこそが江都にとって最も価値あるものだったのです。
「時は金なり」とはいいますが、弥子さんと過ごした時間は、彼にとって金銭にも代えがたいものでした。
きっと彼は彼女との日々をいつまでも思い返すでしょう。
だって、彼はまだ弥子さんに勝っていないのですから。
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