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古代日本における「星」|国政に関わる天文学

 

朝でも夜でも、布団に寝そべりながらぼんやり空を眺める時間が増えているAuraです。澄み渡る青空に流れる雲へと心を託し、或いは、つかみどころのない闇が覆う宵に心を溶かしています。
特に夜空を見ている時には、星の瞬きのひとつでもあれば標になりますが、見えるのは薄ぼんやりとした街灯りのみ。頭上には、闇と灯りとが曖昧にまざり合った空間が広がっています。

 

暗がりに光を見出したいから星が綺麗に見える場所を調べるか~!と思っている僕が今回ご紹介しますのは、古代日本における「星」の捉え方についてです。

大学時代のレポートにゆる~く手を入れてこの記事を書きました。
あ、元が一介の学生のレポートなので、そんな立派なものではありませんよ!笑

 

【関連】僕の大学時代の経験談や思い出、大学の授業の特徴などについて書いた記事です。 

www.kakidashitaratomaranai.info

 

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満天の星

 

 

天文学の意義の変遷

古来より日本では、星または天体にまつわる伝承や説話が諸外国より少ないと言えるでしょう。

ギリシャ神話であれば星座、中国神話であれば七夕信仰など、世界には数多くの例があります。
(七夕は後に日本にも伝わり、『万葉集』の歌にも詠まれています)

 

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星座が創作物に出てくる時って、大体射手座が最強ですよね。

 

日本最古の記録である『古事記』(712年)には、太陽神である天照大神が岩屋に籠るという天岩屋戸伝説(これを現象として捉えるならば皆既日食になるとする説もある)のことは書かれていますが、その他に「星に関するものは全く含まれていないといってもよい」と指摘されています。
(広瀬秀雄『日本人の天文観』より)

 

その後の『日本書紀』(720年)においてもこの傾向が見られます。こちらではイザナギとイザナミによる国生み神話(天地創造)についての記述が増えたものの、やはり星に関するものはそう多くありません。

これらのことから、古代日本人は星それ自体への関心が稀薄であったと考えられるでしょう。


古代なら現代より星が遥かに綺麗に見えるだろうになんちゅうことを…!!笑

 

しかし、百済からの渡来人である観勒(かんろく)によってもたらされたが、その後の日本では「国家の創建を年月日で示し、国家権力を重からしめ(中略)、国家の過去を権威づける」手段として利用され、天文学が政治的な要素を持つようになったのです。
(広瀬秀雄氏の同著より)

 

ただ、時代を経るにつれて、暦を含む天文学は陰陽道との関わりが深くなっていき、実際の天体の運行を研究することよりも、それを見て物事の吉凶を占うことが重視されるようになりました。

 

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陰陽師界最強の安倍晴明

 

星や暦を見て占う

ここでは、星や暦によって吉凶を占っていたという事例をふたつ取りあげます。

 

『大鏡』での花山院の出家

「我をば謀るなりけり。」とてこそ泣かせ給ひけれ。あはれに悲しきことなりな。

 

訳:「私を騙したのだな。」と帝はおっしゃってお泣きになった。不憫で悲しいことであるよ。

 

これは、平安時代後期の歴史物語『大鏡』で有名な場面のひとつ、「花山院の出家」の一節です。

 

寵愛していた女御が懐妊中に死去し、悲しみに暮れていた花山天皇は出家することを考えます。彼に仕えていた粟田殿(藤原道兼)は自分も共に出家するから、と言って出家を後押しします。

 

しかしそれは、花山天皇を出家させ別の天皇を即位させるための藤原家の策謀でありました。
汚いなさすが藤原きたない

 

粟田殿が一緒に出家するというのは、花山天皇の出家を唆すための虚言に過ぎませんでした。彼の真意を悟った花山天皇の言葉が、先に示した「我をば謀るなりけり。」なのです。

そして、この直前には、陰陽師・安倍清明が星読みをして何か天変の起こること(=花山天皇の譲位)を察知した場面があります。

 

「帝おりさせ給ふと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。」

 

訳:「帝が退位なさると思われる天変があったが、もう既にことはなされてしまったようだ。」

 

「花山院の出家」は高校古典で大抵習うので、星読みによる占いをイメージしやすいかな~と思いご紹介しました。

僕自身、高校で『大鏡』を習った時、「粟田殿に裏切られた花山天皇不憫やな…」と印象に残りましたね。

 

干支への信仰

また、先にも書きましたが、暦もまた干支の信仰と結びつくことで吉凶を慮るようになりました。

 

現在であれば、丙午(ひのえうま)の迷信がよく知られています。これは「凶の年である丙午に生まれた女性は激しい気性となり、やがて夫を不幸に追いやる」というものです。

由来については割愛しますが、この迷信が元となり、直近の丙午の年である1966年では出生率が前年から25%も低下しています。
(この数値のデータは、今回Wikipediaから持ってきました 笑)

 

近現代においてもこれだけの影響が見られますが、昔であれば干支の吉凶は国の政策をも左右していました。

 

平安時代の漢学者・三善清行(みよしきよゆき)菅原道真に送った手紙には「来年は辛酉(しんゆう)の年であるため政変が起こるだろう」という内容が書かれていました。
(辛酉の年は人の心が冷酷になりやすいという。)

 

翌年、道真は帝への讒言にあい、大宰府へ左遷されることとなります。(昌泰の変)
これを予言の的中ととらえた清行が、辛酉の年は改元すべきだと唱え、以後辛酉の年に必ず改元する習わしは明治時代まで続けられました。

 

まぁ、清行は道真と確執があったため、清行自身が道真の左遷に一枚噛んでいたかもしれないという可能性が指摘されています。
もしそうなら、汚いなさすが清行きたない

 

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©灰原薬/新潮社

マンガ『応天の門』の主人公・菅原道真。
セリフがピッタリ過ぎたので貼りたくなりました 笑

 

おわりに 

日本由来の星に関する伝説はそう多くありません。

 

当初、国家の権威づけのために使われていた天文学は、やがて陰陽道と結びついたことで占星術の体が強まっていきます。

陰陽道に基づいて星や暦を読み吉凶を占うことは、政変にまで関わりを見せるようになりました。

 

一口に「政治的な要素を持つ」と言っても、意味合いはこのように時代によって大きく変わります。


実際的な星の観測が再び始まり、日本人の手によって天体観測技術が発展するのは、江戸時代の天文暦学者・渋川春海の活躍を待たねばなりません。

 

なお、渋川春海は「貞享暦」を作った人物です。
冲方丁(うぶかたとう)さんによる小説『天地明察』では彼の生涯が描かれていて、岡田准一主演で映画化もしています。

岡田准一さんが主演してる映画はなんか観たくなっちゃうので、『天地明察』も観たいな~~!!

 

 

関連記事……ではありませんが、先ほど画像を貼りました、菅原道真が主人公のマンガ『応天の門』についての記事へのリンクを、せっかくなので貼っておきます 笑

www.kakidashitaratomaranai.info

 

引用・参考文献

〇今井源衛『国語国文学研究叢書8 花山院の生涯』桜楓社 1968年

〇広瀬秀雄『日本人の天文観:星と暦と人間』NHKブックス 1972年

〇山中裕『栄花物語・大鏡の研究』思文閣出版 2012年

〇作花一志『天変の解読者たち』恒星社厚生閣 2013年

丙午 - Wikipedia

〇灰原薬『応天の門』1巻 新潮社