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【映画化決定の小説】三秋縋『恋する寄生虫』感想・レビュー

どうも、トフィーです。
今回は三秋縋先生の小説『恋する寄生虫』のレビューをさせていただきました。

『恋する寄生虫』といえば、これを原作とする映画化が発表されましたね。
それを見てああこの作品買ってたっけなと、積み本の中から発掘しました。
3年越しになりますがようやく読み終えたぜいといった感じです。

積み本、消化しなきゃなあ……。

 
恋する寄生虫 (メディアワークス文庫)

 

 1.あらすじ

「ねえ、高坂さんは、こんな風に考えたことはない? 自分はこのまま、誰と愛し合うこともなく死んでいくんじゃないか。自分が死んだとき、涙を流してくれる人間は一人もいないんじゃないか」
失業中の青年・高坂賢吾と不登校の少女・佐薙ひじり。一見何もかもが噛み合わない二人は、社会復帰に向けてリハビリを共に行う中で惹かれ合い、やがて恋に落ちる。
しかし、幸福な日々はそう長くは続かなかった。彼らは知らずにいた。二人の恋が、<虫>によってもたらされた「操り人形の恋」に過ぎないことを――。
引用:恋する寄生虫 (メディアワークス文庫)

 

 2.『恋する寄生虫』感想・レビュー

★★★☆☆
メディアワークス文庫
2016924日刊行


さっそくストーリーの内容を紹介していきましょう。
『恋する寄生虫』の前半では、プラトニックな恋愛模様が描かれます。

きっかけは脅迫でした。
主人公・高坂賢吾のもとに和泉と名乗る謎の男が現れます。
そして彼はこう言うのです。

お前の犯罪行為を告発されたくなければ、こちらの要求に従え。
まずは佐薙ひじりと友達になれと。

高坂は困惑しつつも要求を受け入れるほかにありません。
和泉に指示されるままに、佐薙ひじりと接触していきます。
とこのようにきっかけこそ異常ではありましたが、二人は少しずつ距離を縮めていきました。

というのも27歳の男性と17歳の少女には、とある共通点があることが明らかになったのです。
実は二人はそれぞれ重度の症状を患っていて、それによって社会生活がままならない状況に陥っていたのです。
そんな二人だからこそ、互いの秘密を共有することで心の距離が縮まっていくのは当然のことだといえるのでしょう。

そして他人を汚らわしいと思っていたはずの高坂は、佐薙だけは触れられるようになっていきます。
一方で佐薙も、人の目が気になりヘッドホンなしでは他人を意識するあまりに歩くこともままならなかったはずが、高坂が近くにいればそれが緩和されていきます。

二人でいれば大丈夫だ
そういった安心感から、二人は積極的に関わるようになっていきます。
二人は互いに確信し、『リハビリ』のためにともに外出するようになります。
そして、高坂の部屋に戻っては二人だけの時間を過ごしていく、そんな日々を過ごしていきました。

そうして二人はだんだんと惹かれあい、ついには恋愛感情を抱くようになります。
――――けれどもその感情は、によってもたらされたものだったのです。

以上がストーリー前半部の概要です。
ちょっと説明しすぎたかとも思いますが、おおむねあらすじからわかることなのでいい、かな……?


今回、この小説には星3という評価をつけさせていただきました。
星4以上としなかった理由としましては、次に挙げる二点が大きかったです。

一つ目は中盤に寄生虫に関する説明が続き、そこがやや難しく退屈に感じられたこと。二つ目は中盤以降が盛り上がりに欠け、個人的には物足りなさを感じてしまったことです。

そのため3評価としましたが、それでもこの小説には読む価値が十分にあるかと思います。

流れるように綺麗な文章は、どこか切ない物語の世界観とマッチしていますし、感情の機微は巧みに描かれている。
だからこそ登場人物に共感できます。

キャラクターとどうしようもなくやるせない空気感が好きな方であれば楽しめるのではないでしょうか。


『恋する寄生虫』ですが、漫画版も出ています。
全三巻と集めやすい巻数ですので、映画の予習であればコミカライズ版でもいいかと思います。

 

 次の記事です。

www.kakidashitaratomaranai.info

これより以下はネタバレを含みますので、未読の方はご注意ください。 

 

 

 

 

 

 

 

3.恋愛小説の皮を被った哲学的なテーマを持つ作品(ネタバレ注意)

 

『恋する寄生虫』のテーマは意志とはなにか、というところにまで掘り下げられます。
以下のひじりの台詞はそれを象徴しています。

「紛いものの恋の何が悪いの? 幸せでいられるなら、私は傀儡のままで一向に構わない。<虫>は、私にはできなかったことをやってみせたの。私に、人を好きになることを教えてくれたの。どうしてその恩人を殺さないといけないの? 私は操り糸の存在を知った上で、それにあえて身を任せているんだよ。これが自分の意志でなくてなんだっていうの?」

『恋する寄生虫』239頁より引用

 

彼女のこの言葉には「なるほど」と納得してしまいます。
幸福であることが、人生において至上のことであるのなら、たとえ操られていてもさしたる問題はないでしょう。

しかし、その一方でこうも思うわけです。

「あえて身を任せる」というひじりの選択さえもが、<虫>によってなされたものなのだとしたら。
はたして彼女には意志があるといえるのだろうかと。

ここまでくれば、ひじりの意志と<虫>の意志との間に境界はありません。
どれが彼女による選択なのか、このときの彼女はその真偽を確認するすべを持ち合わせていませんし、「自分の意志」の定義がまた曖昧になってきます。

だからこそ、ひじりのように自分の感情のままに動くことも、高坂のようにそれを拒むことも、どちらも間違いだとはいえないわけです。

押しつけられたモノを新たな意志として享受するそのありようは、ぼくの一番好きな小説『ハーモニー』を連想させます。
『恋する寄生虫』についても突き詰めて考えれば、『ハーモニー』と同様にそもそも人間に意志は必要なのかというところにまで行きつきます。
(問いかけ方の形式こそ違いますが、幸福であることを最重要視し、もとの自分の意志を捨て去るその姿勢は同じです)

ファンタジックな恋愛小説かと思われたその中身は、実際のところSFチックで哲学的な内容でした。