書き出したら止まらない

3人で運営するサブカル系雑記ブログです。お気に入りの本や漫画をここで見つけてみてください。

文学部に入ろうか悩んでいる方に向けてギャップを語ります

恥しかない生涯を送って来ました。


この記事はこのような方に向けて書いています。

・文学部(国文学科)に入ろうか悩んでいる方へ
・学部が決まらないから適当に選んでしまおうと投げやりになっている方へ
・小説を書きたい方へ


どうも、トフィーです。
今回はいつもと趣向を変えて、文学部に在籍していたころの想いについてひたすら語っていきたいと思います。

文学部というくくりだと心理学や歴史なども含まれますが、ぼくが入っていたのは文豪と呼ばれる人の名作や古典について研究する『国文学科』です。

 

 

1.ぼくが文学部に入った理由

ぶっちゃけますが小説のネタ探しです。

文学を探求したい、考察を深めたい、伝統と文化を後世に伝えたい。
そんな殊勝な理由ではなく、かなり不純な理由だったかと思います。

あとセンター試験の一週間前になぜかポケモン(旧作)にどはまりし、こたつで怠惰な時間を過ごし、センター試験で点数を落とし、第一志望の学科のある大学への合格が絶望的になったから、次に興味のある文学部を選んだという背景もあります。

が、第一志望にしろ第二志望にしろ、興味関心の大小はあれど、根底にあった動機は「ネタ探し」だったのです。

いつからかはわかりませんが、少なくとも高校三年生のころのぼくはすでに「作家になりたい」という想いを抱くようになっていました。

とはいっても高校時代のぼくは、いや大学三年のころまでのぼくはただネタ帳未満のメモを残し続けるだけでした。
十分にインプットしなければ、アウトプットなどできるはずがないと考えていたからです。

それが間違いだったとは思いませんが、それでも多少なりとも書くという行為そのものになるという意味で、短編くらいにはチャレンジしてみればよかったと思います。
鱗滝何某さんに「判断が遅い」と怒られそうな亀っぷりですね。

今でこそ十二万字に渡る長編を書きあげて新人賞への応募も開始し、作家志望や作家が集うサロンにも入って、批評をいただくようになりましたが、もう一年くらい早く動くべきでした。
せめてのようにブログくらいは始めていればよかったかな……。

脱線しかかっているので戻します。

当時のぼくは講義で触れる作品を通して、研究を通してネタがみつかればいいかな、という感覚だったわけです。
「ストーリーのこういう点が面白い」、「キャラクターのこういう点が共感を呼んだために売れた」、「テーマが時代背景とあわずに人気が出なかった」といった作品の面白さや市場の分析のような講義があったりしないかなという期待もありました。(結論だけ言いますが、「技巧」をテーマとしたほんの一部の講義をのぞいて、それがメインのものはほとんどなかったです

当時のぼくは「作家になりたい」なんて誰にも言いませんでしたが(言ってもしょうがないことではありましたが)、そんな動機で文学部へと入ったものだからか、すぐに温度差を感じるようになりました。

 

2.文学部が向いていないタイプ紹介

 「軽い気持ちで文学部に入るな、死ぬぞ」

ぼくは死にました。
発表のために何度もぼこぼこにされました。

 

タイプ1.あがり症


第一のポイントとして文学部には発表が多いです。(そのかわりテストは少ない)
それゆえに、「ディベート力」のような機転が求められます。
これが欠如していると本当に厳しいです。

ここでまた自分の話に戻りますが、ぼくはあがり症のため本番に非常に弱く、敵(教授ら)を目の前にするともともと少ない思考力がさらに奪われてしまいます。
もうほんと、呆然としてしまうわけですよ。
さながら蛇に睨まれた蛙のように。

また質疑応答では思いもよらぬ質問が飛んできます。
その中には当然、自分の論の穴を突くようなものもままあるわけです。

冷静な状態ならば、もう少しはマシな回答もできたことでしょう。
けれども、発表中にはじっくりと考えるほどの猶予はありません。
だからといって黙っているわけにもいかないわけで、思考よりも先に口を動かすなんて無茶をやらざるをえなくなるわけですが、当然のことながら回答もめちゃくちゃになるわけで、最終的に死ぬしかなくなるのです。

国会答弁みたいに、事前に質問を明示しといてくださいよ、ほんと。

 

タイプ2.割り切りができない方

浅いと言われた考察のうち、およそ半分は内心納得していませんでした。
だってもうこの世にいない作家がなにを考えて、またどういう想いを込めて作品を書いたかなんて、確認するすべはないじゃないですか。

「考察」を展開するために、手記や雑誌のインタビューを引っ張ってきて根拠とすることは結構あります。
よく作家、とりわけ文豪を権威づける人がいますが、作家だって人間です。
人間の思考や感情は複雑なものです。
作家が自身の信念や哲学、政治観なんかを残していたとしても、それがその場の思いつきであったり、後づけの解説であったり、なんなら格好つけだったりする可能性さえもがあるわけです。
だからこそ真相は藪の中なわけで、明確な正解も間違いも判別しようがないじゃないかと。

なにが言いたいのかというと、作品について論を述べるにあたって、「参考にした先行研究に強弱もないわけで、考察も自由になされるべきである」と思ってしまったわけです。

あれは違う、これもおかしいと割り切って、整合性を見出して誰もがもっともらしいと思う論を述べる。
それがぼくにはできなかったわけで、ぼくは死んでしまったわけです。

 

タイプ3.文学に特別性を見いだせない方

ぼくは純文学も、大衆小説も、なんならライトノベルだって等しく価値があるものだと思います。

文学部にいて気になったのが、文学を崇高なものだと権威づけて、それ以外の小説を貶している人々がちょくちょくと見られたことです。

もちろん全員がそういうわけでは断じてないですし、なんならサブカルを容認して積極的に享受する人もたくさんいました。
なんなら、ゼミの時間中に『キングダム』の話で盛り上がる教授もいたといいます。(キングダムぱねえ)
けど、やっぱり文学至上主義的な考えを持つ人も見られたわけで。

繰り返しますが、ぼくは純文学も大衆文学もラノベも同等に価値があるものだと考えています。
ただ方向性が違うだけです。
詳しく語れば大きく脱線してしまいますので、ここでは省きますが、物語によって「人の心を癒したり、考えさせたり、成長させたり」と、心に影響を与えるという点においてはどれも大差ありません。

「純文学こそ至高、大衆小説やライトノベルなんて……」という考え方が大嫌いです。
最近、若者の活字離れが訴えられがちですが(そもそもそれも間違いだと思いますが)、彼ら彼女らが小説から距離を置いてしまうのには、もとをたどればそういった権威主義こそが理由の一つとしてあげられるのではないかと思います。
文学が価値あるもの、崇高なものであることは否定しませんが、そういった選民主義にも近い考えに触れるたびに辟易としてしまいました。

 

 ※過去記事。読書という行為に距離感がある方に向けて書いています。

www.kakidashitaratomaranai.info

 


けれども、文学が純粋に好きな人は文学部には向いている。
それだけの熱量を研究に向けることができるのですから。

ようするに考え方、ポリシーの違いです。
彼ら彼女らの考え方を全面的に否定するつもりはありません。
そうでなければ、「多様性が認められるべき」という想いから吐きだしてきたこれまでの主張が崩れ去ってしまいます。
けれども、否定させるつもりも断じてありません。

そういった点において我が母校は恵まれている方でしたが、大学によってはますます文学至上主義的な考え方にふれる場面が多くなるのかもと思います。

だからこそ、自分自身が文学を特別なものだと思えない場合には注意が必要です。
心が死んでしまいます。

 

3.学部選びは慎重に

エッセイみたいになってしまいましたが、以上がぼくが文学部に対して感じてきたことです。

あがり症の方、割り切れない方、文学を特別なものだと思えない方。
上記の方は一度踏みとどまって、「それでも文学部に入ってやっていけるのか」と落ち着いて考えてみてください。

さもないと、ぼくみたいに死にます。
教授や文学ガチ勢にボッコボコの凹にされますよ。

最後にもう二つだけ。
色々書きましたが、文学部(国文学科)はけっして悪いところではありません
色々な考え方やものの見方を学べましたし、文化や伝統を残すという活動は尊いものです。
ただ、間違って迷い込んでしまったぼくが悪いだけなのです。


そして最後に。
文学部の中にもいろいろな学科があります。
この記事を読んで「自分には文学部は向いていないのか……」と悲観的になるのはまだ早いです。
心理学、歴史学、場合によっては社会科学や経済学なんかも文学部に含まれることもあるでしょう。
色々な学科を調べてみて、できることなら体験講義なども受けてみてください。
「この教授のもとでなら頑張れそう」、「この分野なら取り組めそう」など新たな発見があるかもしれませんよ。

 


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