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平安時代の人々にとっての「火」レポートー恐怖と清めー

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 【はじめに】

『中外抄』というのを大学の講義で取り扱いました。『中外抄』ご存じでしょうか。平安時代に、おっさん(大外記中原師元)がおっさん(関白・藤原忠実)の言ったことを筆録した説話・日記のようなものです。

そこに書いてあったとあることについて僕は疑問を持ちました。

火は昔の人々にとって恐れられる存在だった一方で、罪人の家を焼き払い穢れを清める働きがあるという話があったのです。

講義を聞いていて僕はこう思いました。

 

 

「恐れられる」一方で「清め」の意味を持つ?どいういうこと?は?とんちか何か?

まず、現代において火の一般的なイメージは…「恐れ」のみ?な気がするけど。。。

 

てか現代に「恐れ」と「清め」二つの意味を持つものなんてある?

「清め」といえば「塩」が浮かぶけど、別に塩恐くないしな。YouTuberのはじめしゃちょーが紹介してた塩を弾丸にするモデルガンがかろうじて恐いわ。

 

そして、「恐い」といえば、和田アキ子?アッコさんは清めのイメージ…ないけどなあ、俺は。いや知らんよ?あるかもしれんよ?アッコさんの清め力は未知数よ?アッコさんに飲まされる酒のアルコールの消毒作用はさすがに知らんよ?勝俣は清めパワー受けてるかもしれんけどね?勝俣が「知ぃらないの!?アッコさんの清めすぅんごいんだからぁ!」って裏で言ってるかは知らんけども。。。

 

 

はい、前置きが長くなりました。「恐れ」と「清め」二つの存在感を放つ「火」というものが昔の人々にどのように捉えられていたのかをいくつかの文献を引用して調査していきたいと思います。

 

【調査】

 

 現代でも火が恐いというイメージがあるのは、火災からくるものではないでしょうか。しかし、現代の僕たちと当時の人々の間で火災のイメージは少しばかり差異があるようです。

林家辰三郎氏の「変革のなかの火」にはこういう記述があります。

 

平安京の前途に大きな不安を示した火にかかわるものが三つあった。

一つは、清和天皇の貞観八年閏三月十日に起こった応天門の炎上であり、二つは醍醐天皇延長八年六月二十六日清涼殿の落雷であって、これは(略)単なる自然現象ではなく、冤罪によって太宰府に客死した右大臣菅原道真の怨霊の仕業と理解されていた。

こうした清涼殿の雷火は、まさに貴族生活を震撼させるものであり、(略)変革に当たってこうした火のもつ畏怖感は、とくに強烈なものにちがいなかった。

三つめがボストン美術館蔵の平治物語絵巻の三条殿討の条である。(略)この三条殿焼亡はまさに中世の「武者の世」の実現を最もよく物語る場面となっている。そしてこの後は内乱期となって、変革の火はまったく日常化してしまう。

 

 

また、西口順子氏の「火・煙・灰 ―神仏の霊力をめぐって―」に

 

火災は、自然災害と人的災害とを問わず、神仏の怒りであると考えられていた

 

 

とあることからも、当時の人々は火の発生源がなんにせよ、コントロールしきれないそのパワーから「火」を神と関連付けて捉えていたと分かります。

ただし、火の日常化によりコントロール可能なものになっていくにつれてその意識は薄れていったものと考えられるでしょう。

 

 また、当時の人々にとって、火への畏怖感は火災という実際的なもののみからくるのではないようです。

 

不動明王をはじめ、明王たちは火炎を背にして描かれ、仏教の護法神である十二天中の火天は火をつかさどる神で、四本の手を持ち、火炎につつまれて描かれる。より広く知られているのは、地獄からの迎えの火車、地獄の火炎などである。「火」は地獄の恐怖を語るキイワードとして用いられ、火炎につつまれて身をよじる男女の姿を描いた絵画に登場する(西口順子)

 

とあるように、火は人々にとって実際的な恐怖だけでなく観念的な畏怖をも感じさせるものでした。

この観念的な畏怖は、先程の神仏の怒りという発想に直結しますね。

 

 次に、「清め」としての火を考えていきましょう。

 

「地獄の業火のイメージは、悪人を罰する苦しめであると同時にすべての罪障を焼き尽くす火でもある。したがって火は、キヨメでもあった。」(熊倉功夫)

 

とあるように、やはり火には清めのイメージがあるのが分かります。そして、

 

「火」の信仰といえば、火山列島に住むわたくしたちは、まず火山の噴火と、これを神と崇める信仰を思い浮かべる。また、民俗行事として知られる小正月のどんど焼き、東大寺二月堂で行われるお水取りの松明、盆の迎え火・送り火、火伏せの護符などを連想するであろう。(略)

「火」は信仰対象とされるのみならず、さまざまな信仰・儀礼が存在する(略)が、日本の宗教において「火の宗教」というべきものがあるのかどうか。(略)同一の教義や司祭者がおり、そのもとに組織された信仰集団が存在したというよりも、むしろ信仰集団化されていないことが特徴で、組織化されていくのは、中世後期以後のことであると思われる。(西口順子)

 

とあるように、人々は噴火などの災害から火を神と結びつけていたことが分かります。さらに、火が宗教として組織化されていないということは、平安時代の人々が意識的ではなく無意識的に個人の中であるいは他者との会話のなかで「火」を神と結びつけていたのではないかと考えることが可能でしょう。

以上の二点をまとめると、「火」は罪障を焼き払う地獄の業火のイメージと、信仰・神と結びついた神聖なイメージが混合して、穢れを清めるものとして人々に扱われたのではないかと考えられます。

 

【まとめ】

はじめ、『中外抄』から火について考えた際、なぜ「恐怖」と「清め」という二つのイメージが「火」に共存しているのだろうと疑問に思いました。しかし、今回の調査で、「火」が神仏と深いかかわりがあり、その神仏こそが「恐怖」と「清め」の両イメージを「火」に持たせているのだと発見することができました。まとめると

 

恐怖→火事などの実際的な恐怖、神仏の怒り・地獄の炎のイメージという観念的な畏怖

 

清め→地獄の業火は罪を焼き尽くすという清め、噴火などの災害から信仰・神と結びつき、なんだかんだ神聖なので清め

 

ということですね。

中盤から真面目に頑張って疲れたので、アッコにおまかせ見ながら塩ラーメンでも食べます。

 

以上

 

【参考文献】

『火』 編集代表 林家辰三郎 思文閣出版1996年 より

「変革のなかの火」林家辰三郎

「火・煙・灰―神仏の霊力をめぐって―」西口順子 口絵解説 熊倉功夫