書き出したら止まらない

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前編感想&改変点まとめ|映画『FGO 神聖円卓領域キャメロット』

 

 『後編』感想記事へのリンクです ↓

www.kakidashitaratomaranai.info

 

FGOのメインストーリーでは、第1部の6章が今もって一番好きなAuraです。これがきっかけで、アーサー王伝説自体にもハマっています。

 

さて、劇場版『Fate/Grand Order -神聖円卓領域キャメロット-[前編 Wandering ; Agateram]』が2020年12月5日に公開されました。

 

作品名がめちゃくちゃ長いので、以下では『キャメロット前編』『映画版』といったように略して書いていきます 笑

僕は公開初日から数えて5回観ましたが……うーーーーむ………。

 

この記事をご覧になっている方は、本作の評価が大きく割れていることを既にご存知かと思います。

 

と言いますのも、映画における原作ストーリーのカット・改変の仕方について、少なからず疑義を持たれているからです。

まぁ、物語面だけでなく、演出や作画などの面でもいろいろ言われちゃってるのが現状ですけれど……。

 

本記事では、映画がどのような意図のもとに制作されたのか、パンフレットやインタビュー記事を参照すると共に、個人的な寸評を書き連ねています。

また、参考として原作ゲームからどこがどうカット・改変されているのかもまとめました。

 

あ、先にひとことで、僕が一番お伝えしたい感想を書いておきます。

「やりたいことは分かるけど、90分は短すぎる。120分でやってほしかった……。」

 

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

「それでも、この旅の終わりを目指す」

 

※原作及び映画のネタバレ注意です。

まぁまぁボリュームのある記事です。休み休みご覧ください。

※「良かったところ」と「悪かったところ」のような、整った構成の記事にはなっていませんがご了承ください(笑)

※一部に辛口な評価がありますので、ご注意ください。

 

 

本題の前に|音楽と主題歌は◎

本題に入る前に、ひとつだけサラッと書いておきたいことがあります。
ここで扱わないと、内容の流れ的に書けずじまいになってしまいそうなので(笑)

 

音楽や主題歌はとても良かったと思います。

 

音楽|『GOA』から連なる世界観

まず音楽の方ですが、深澤秀行さんが手がけるということは僕にとってかなり嬉しかったですね。

 

深澤さんは、

TVアニメ版『Fate/stay night[Unlimited Blade Works]』
ドラマCD『Garden of Avalon』
PCゲーム『魔法使いの夜』

の音楽を担当されていて、TYPE-MOON作品と縁の深い方です。

 

とりわけ『Garden of Avalon』は、アルトリアや円卓の騎士たちの生前を語る作品なので、内容的にも『キャメロット』とは切っても切れないつながりがあり、それもまた『キャメロット』の面白さのひとつになっています。

(以下、『GOA』と訳します)

 

( ↑ 画像はAmazonへのリンクです)

 

『GOA』の楽曲がめちゃくちゃ好きな僕としては、劇場版『キャメロット』でも深澤さんが作曲されると知って「統一感あって最高!」と思いました 笑

 

なお、原作のゲームでも『GOA』の曲が効果的に使われています。

まず、ベディヴィエールがマーリンにアヴァロンから送り出されるところが描かれる「アバンタイトル」で『at the Garden』が流れるのですが、こちらの曲は映画の同じシーンでも使われていたので心の中で拍手喝采してました。 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

「アバンタイトル」より 

 

『GOA』の曲は他にも、「第17節 レプリカ(5/5)」で、

〇ベディヴィエールが聖剣を返還するシーン→『Starlight』
〇アグラヴェインが獅子王に失態を詫びるシーン→『Voyage/fallen shadow』

が使われていて、いずれも強く記憶に残っています。

 

『後編』の同じシーンでも使ってほしいなぁ……。

 

『独白』|『レプリカ』とのつながり

坂本真綾さんの歌う主題歌『独白』も素晴らしかったです。
歌詞や旋律に込められたメッセージ性が優れているのは、聴かれた方には言わずもがなですね(笑)

 

( ↑ 画像はAmazonへのリンクです)

 

また、キャメロットのストーリーは奈須きのこさんが坂本真綾さんの『レプリカ』という曲から着想を得ている、ということはファンの間で有名なエピソードかと思います。歌詞の「僕の罪は 躊躇ったこと」がベディの過ちにつながっています。

(曲名は原作の最終節のタイトルにもそのまま使われていますね)

 

その『レプリカ』を作曲された内澤崇仁さんが、『独白』の作曲をも担当されているというだけで僕は舞い上がりました。

 

簡潔でしたが、音楽と主題歌については以上です!!(笑)
ここから長い話が始まります!!!

 

ベディヴィエールを主人公とした構成

本作を語るにあたって最初に触れねばならないことは、円卓の騎士ベディヴィエールを主人公とした構成です。

 

原作ゲームをプレイされている方は、キャメロットという物語の魅力・根幹に彼が深く関わっていることはご存知かと思います。

そのため映画にて、藤丸立香たちカルデアメンバーではなく、ベディヴィエールの視点から物語が綴られることには、まずもって意義があると言えるでしょう。

 

では、どのようなコンセプトで原作から再構成がなされたのかを確認していきましょう。
監督・末澤慧さんのコメントをパンフレットやインタビュー記事より引用します。

ただし、読みやすくするために、以下では改行&一部を太字化しています。

 

ギャグパートをほぼカット

英霊が抱えた“後悔”を深堀りするシリアスなドラマ展開

 

原作ゲームの内容はシリアスでありながらも、合間合間にコミカルな要素が添えられていました。
長大なボリュームの物語をシリアス一辺倒で描くと、ユーザーは途中で息苦しさを感じてしまうので、重いお話の中にも安らぎや笑いの描写を差し挟むことでバランスをとっていたのだと思います。

 

これを2クールくらいのTVシリーズで描くのでしたら、ゲーム準拠の内容にすべきでしょう。
しかし上映時間が約90分しかない劇場映画で同じことをすると、観劇中に雰囲気がコロコロ変わってしまって、始まりから終わりまで一貫した気持ちで観ることができなくなってしまうんです。

 

特に本作では、重い使命を背負っているベディヴィエールを主人公に据えているのですから、切羽詰まった空気感を壊さないためにも、コミカルな要素はできる限り抑えることにしたんです。

 

出典:劇場版『Fate/Grand Order -神聖円卓領域キャメロット-』[前編 Wandering; Agateram]パンフレットより

 

原作における、人物同士の軽妙なやり取りやギャグ描写もまた6章の魅力のひとつではありますけれども、映画にてそういったシーンはあまり見られませんでした。

 

これに対し「メリハリがない!」という意見もSNSで見かけたのですが、6章の本質が〈贖罪〉の物語であることを考えれば、シリアスに寄せるというコンセプトは評価できる点だと僕は思っています。

尺の長さ的にも、カットされるのは致し方ないでしょう。

 

まぁ、スクリーンで観てみたかったという思いも少しはありますが、実際にやったらシュールすぎるものもありますし 笑

 

「首がズレるオジマンディアス」とか「アーラシュフライト」なんかは、忠実な映像化が逆に難しそうですね。
(前者は、キングハサンの凄まじさを示す伏線でもありますが……)

 

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©TYPE-MOON / FGO PROJECT

「第2節 太陽王の晩餐(2/2)」より

 

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©TYPE-MOON / FGO PROJECT

「第7節 遊撃騎士モードレッド」より

 

ちなみにベディヴィエール自身もこんな愉快なことを言っています。

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©TYPE-MOON / FGO PROJECT

「第5節 敗走」より

 

いやいや…ゲイザーの目玉なんてさすがに食べる気にならんよ……無理です……!!笑

 

話を戻します。

コミカル要素が抑えられたこともあり、映画序盤でのベディヴィエールの硬い表情が印象的で、そこには「エクスカリバーを返還できなかった」ということへの後悔に蝕まれている彼の悲愴を感じ取れるでしょう。

前編に終始漂う重い空気……これは本作の好きなところですね。

 

〈対照〉を描くドラマ演出 |映画における「意図」

前項にて「ベディヴィエールの硬い表情が印象的」であったと述べました。

それが物語終盤では、モードレッドやトリスタンに対し怒りを爆発させるなど、ベディヴィエールが本来持っていた感情を取り戻していくさまが前編では描かれています。

 

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

これを象徴的に表しているのが、劇中でベディヴィエールの口から二度発せられる「今度こそ、この手で——我が王を殺すのだ」というセリフです。

以下に、その場面で受ける印象をまとめました。

1回目:物語冒頭、遠くに聖都を望み砂漠を歩む時。
無表情機械的に足だけが前へ動いているイメージ。声に生気がない。

 

 

2回目:物語終幕、アーラシュによる決死のステラを見届けた直後。
滂沱しつつも正面を真っすぐ見据え決意を固める。強く絞り出すような声音。

 

なお、2回目は映画オリジナルのセリフです。
分かりやすく冒頭と終幕にこのセリフが配されていることを踏まえると、前編では、ベディヴィエールの変化に言わば〈対照〉を演出することでドラマを作り出していることが見て取れます。

 

また、監督の末澤さんは、インタビュー記事にて「前編はベディヴィエールの心のロードムービー」であるとお話しされています。

以下、引用していきます。


いわゆる「切り取り」で文脈を変えたくないので、長々と引用していますが、めちゃくちゃ大事なインタビューなので是非ともお読みください 笑

(一部の太字や改行は僕が私的に行ったものです)

 

——劇場版『キャメロット』でいちばん描きたかった軸やテーマについて教えてください。

 

ベディの再起、魂の救済ですかね。まだ完全には救われていませんが、再起してもう1回頑張れるところまで向かう、内面的な旅を描いていて。

ベディが座っているところから再び立ち上がるというカットが、それを物語っていると思います。

(中略)

 

責任に対するプレッシャーに押しつぶされて、ベディは殻に閉じこもってしまう。

ずっと後悔していて、そのうち笑うことも怒ることも、悲しむことさえも忘れてしまった。感情の振れ幅が狭くなっている状態です。

(中略)

 

たまたま出会った藤丸くんやアーラシュと関わって、そばで彼らの言動を見ていくうちに、だんだんと人間らしさを取り戻していき、感情が豊かになる。そして最後は、怒りと悲しみで感情がぐちゃぐちゃになった状態で前編は幕を下ろします。

 

感情がどんどん増幅していった結果、モードレッド(CV:沢城みゆき)やトリスタン(CV:内山昂輝)と会ったときにも、「何があってそうなってしまったんだ!」と怒鳴り合いのケンカができるところまで回復した。

真っ向からケンカを受けて、「円卓の誇りは地に落ちたのですか?」と言い返している。

 

最初のベディだったらそんなことは言えていないと思います。ケンカを吹っ掛けられても、じゃあいいです、と去っていたはずで。

 

——たしかに。最初は人との関わりそのものを拒絶していましたもんね。

 

だけど、オジマンディアスとの対話のシーンでもわかるように、藤丸くんは思ったことをパッと言える人じゃないですか。

そういう藤丸くんを見て、ベディはそれを見習わないと、と受け取ったんですよ。受け取って、言い返せるようになって、さらに戦えるようになった。

 

というように、劇場版『キャメロット』の前編は「心のロードムービー」だと思って描きました。

 

出典:【インタビュー】『劇場版FGO キャメロット』特集/第5回:末澤慧監督「描きたかったのはベディの再起、魂の救済」 - ライブドアニュース

 

このインタビュー記事、『キャメロット前編』を理解する上で、重要な情報がめちゃくちゃ詰まってました。

僕は「あれ?これ、映画パンフレット以上に大事なこと書いてない??」と思ってます(笑)

 

ベディヴィエールまわり以外にも、初見のお話が数多く出されているので、この感想記事の後にでも読んでくださいな……!!(笑)

 

話を戻しましょう。
上掲の記事内容を踏まえつつ、『キャメロット前編』の構造を、僕なりの言葉で再度まとめると、

ベディヴィエールの再起を象徴するために、「我が王を殺すのだ」という二度の〈対照〉的なセリフを物語の始まりと終わりに置き、その過程をドラマとして見せている

といったところになります。

 

個人的に、これは作劇上の「意図」としては十分に面白いと思っています。
実際、スクリーンでベディの二度目のセリフを聴いた時に僕は「そうきたか!いいな!」ってなってました。

 

セリフだけでなく、ベディがうずくまってた向きや場所とかも考えられた演出になってて素晴らしかったです。

(冒頭は花園で左向き、終幕は荒れ地で右向き)

 

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

原作と映画のバランスの難しさ

では、先の項で述べた、この「意図」が物語の主軸に据えられた理由とその是非を考えていきます。

原作ゲームにおいて、ベディヴィエールが物語の前面に立ち現れてくるのは本当に終盤になってからです。

そのため、映画で彼を主人公にしたからには、初めから前面にいる「主人公としてのストーリー」が必要になってくるでしょう。

 

結果として、映画では先ほどの「意図」を反映するストーリーとなりました。
一応、ひとつのストーリーとしては成立しているわけですが、一方で冒険的な再構成とも言えます。

 

なぜなら、原作の6章は、確かに「ベディヴィエールの物語」ではありますが、これは「ベディヴィエールが主人公の物語」と必ずしも同義ではないからです。

 

現地のサーヴァントや民たち、あるいはカルデア一行、特にマシュの成長・真相を描く物語でもあります。

しかしこれを全て映画に盛り込むのはもちろん不可能です。

 

そこで、原作を尊重しつつも、ベディヴィエールが主人公としてのストーリーや演出が組み立てられ、原作からの取捨選択がなされることになるのです。

ベディを主人公にする、というのはそれだけで大変意義のあることですが、同時にチャレンジングな試みでもありました。

 

(「原作をそのままアニメにすればいい」という言葉をよく耳にしますが、FGOに関して言えば、それはやや難しいという感があります。群像劇ですし、、、、)

 

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

こうして原作からの取捨選択を経た上で、先ほどの映画における「意図」やベディが「主人公としてのストーリー」が生じたことを確認しましたが、問題点もまたここにあります。

 

すなわち、

①原作とのバランス
②映画における「意図」
③「主人公としてのストーリー」

の噛み合わせに少しばかりのズレがあるということです。

 

たとえば、『前編』だと「ベディ主人公」を徹底できておらず、藤丸視点で話が進んでしまっているところも多かったですね……。

原作だとベディが主導して状況を動かす場面があるのに、映画では藤丸にその役割の一部を取って代わられています。

 

例)
①ダヴィンチちゃん特攻後、その場に留まらず逃げるよう諭す
②難民との交渉
→ 原作ではベディの言動だったが、映画においては藤丸がやっている 

 

①のダヴィンチちゃんのシーンは…… ↓

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©TYPE-MOON / FGO PROJECT

 

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©TYPE-MOON / FGO PROJECT

「第5節 敗走(1/2)」より。スクショを撮るためにマスター名を藤丸にしました 笑

 

ベディが主人公なのに、原作での主人公っぽい言動を改変するという……。
まぁこれは、藤丸の姿を見て再起するベディを描きたくて変えたのでしょうね……。

 

せめて、こういった場面での藤丸の言動に対する、ベディのリアクションなんかがもう少しあればなお良かったと思います。

 

では、ここからベディヴィエールの人物描写などにスポットを絞ってお話ししていきます。

 

ベディの人物描写 

「意図」とは、ベディの〈対照〉的な姿を見せることでしたが、それを描いたがゆえにベディヴィエールの印象が原作から一部変わっているところがあります。

 

前項のダヴィンチちゃん特攻のシーンもこれに当てはまっていましたが、他には映画冒頭の聖都周辺でのシーンが挙げられます。

アーラシュから、聖抜についての情報を聞いていたベディヴィエールのところに、ダヴィンチが現れ「君の身の上話も聞きたいな~?」と声をかけます。

 

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

しかしベディヴィエールは「あなたには関わりのないことです」と告げて立ち去ります。

その後、餓えたルシュドへの施しをサリアにせがまれ、彼女に右手を掴まれた時には「触るな!」と語気を強め振り払ってしまいます。

 

うーーーーん……。

罪の意識で切迫しているベディヴィエールを端的に描きたいのだろう、ということは伝わります。
物語の後半で人間味を取り戻すことの意味を深めたいのだろう、ということもまた分かります。

 

でも……!!ベディはそこまでの言動をとるまい……!
もうちょい穏やかな人柄だと思うんですよ……!笑(面倒なオタク

 

原作からの改変・再構成はもちろん必要なことだとしても、本来それは違和感のない範疇に限られるべきでしょう。

ここで、原作のベディの性格が窺える場面をご紹介します。

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

「第1節 砂の洗礼(2/2)」より

 

百貌のハサンにさらわれたニトクリスを藤丸たちが助け出すも、誤解され攻撃を受けたところに、ベディヴィエールが割って入る場面です。

(このシーンは映画だとカットされているので、扱いには何とも困るところではあります)

 

上掲の流れを見るだけでも、ベディの人柄の一端が分かるかと思います。
挫けそうなマシュが奮い立てるよう言葉をかけて助太刀し、人の話に耳を傾けないニトクリスを諭すなど、穏当な人となりをしています。

 

しかもこのシーンは第1節、つまり物語の冒頭です。
映画冒頭での周囲が見えなくなっているベディとは、はや乖離が起こってしまっていると言えるでしょう。

 

僕の抱いたベディヴィエールへの印象は、

「基本的には優しく穏やかで、心が安らぐような存在。しかし時折の気弱な発言や迷い(「私は取り柄がない騎士」など)を聞くとなんだか心配にもなる

といった感じでした。

 

こう受け止めていたからこそ、普段は(実は表面上の)安定感のあるような振る舞いをしていたベディが、さりげない心細げな言動を積み重ね、遂には最終決戦の前にくずおれそうな姿を見せたことに、僕はひどく衝撃を受け、痛ましく感じられたのです。

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 「第16節 決戦前夜」より
※『キャメロット前編』で描くのは「第12節 炎の村」まで

 

映画では、序盤の様子からして「この人大丈夫かな……?心配だ……」って僕は気がかりになりましたから、原作とはベディに対する感情の起伏が変わっています。

 

結局、ベディへの解釈は個々人によるのですけれども、少なくとも原作と映画とで序盤の印象がいささかズレていることは確かなのではないでしょうか。

 

これは〈対照〉を描くというドラマを重視したがための課題ですね……ただし先述したように、映画ならではの趣向としては面白かったなぁと僕は思っています。

なので、原作は原作、映画は映画、として切り分けて考えるべきかもしれません。

 

(あ、原作冒頭の挫けそうなマシュへの声かけのシーンって、地味に終盤のマシュ覚醒のシーンともつながってるように思われるんですよね。

 

「その盾は決して崩れない」と言って宝具ロード・キャメロットの展開を導き、ロンゴミニアドを防ぐところです。 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

「第17節 レプリカ(5/5)」より

 

この場面ではマシュを導きつつも、逆にベディが奮い立つきっかけにもなっていました。原作冒頭とは関係性が変化しています。

 

これを引き立たせるためにも、原作冒頭のシーンは映画でも欲しかった、、、、)

 

対峙する円卓たちの存在感が希薄|後編で描写?

ここまで、映画のコンセプトや原作との印象の違いなどを、ベディに焦点を当ててお話ししてきました。

本項からは少し視点を変えて、獅子王率いる円卓の騎士たちと、アーラシュについて書いていきます。

 

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

僕が『キャメロット前編』を観て感じたことのひとつに、「円卓の騎士の、敵としての存在感が希薄」が挙げられます。

もちろん、ベディや藤丸たちの行く手を阻む者として登場はしましたが、原作で読んだ時の、戦慄するような圧迫感はイマイチなかったように思います。

 

とは言え、これにもどうやら制作上の理由がありそうです。映画のパンフレットより再度引用します。(改行・太字は僕が行いました。)

こちらは監督・末澤慧さんと、キャラデザ/総作画監督・黄瀬和哉さんの対談です。

 

末澤

『FGO』は物語設定や作品独自の要素が多くて、それらを知ったうえで触れないと、お話の内容がなかなか頭に入ってきませんからね。

特に『キャメロット』は『Fate』世界における「円卓の騎士」がどういうものなのかを知らないと、登場人物たちの行動原理が見えにくい。僕も世界観全体を把握するのにとても苦労しました。

 

黄瀬

それで僕は自分の役割を『前編』だけに絞ることにしました。

派手なバトルが描かれたり、一気呵成にお話が進んでいくのは『後編』なので、『前編』はそこに向けての壮大な“前振り”にすることを目指したんです。

 

出典:劇場版『Fate/Grand Order -神聖円卓領域キャメロット-』[前編 Wandering; Agateram]パンフレットより

 

うーむ、示唆に富んでいて解釈が難しいですね。ポイントをまとめるなら、

①『キャメロット』を理解するには「円卓の騎士」への理解が必要
②『前編』は『後編』の“前振り”

といった感じでしょうか。

 

ここからは、

「『キャメロット』を理解するには「円卓の騎士」への理解が必要だが、『前編』はベディの再起に焦点を絞り、他の円卓の騎士は『後編』で描く」

という考えがあるように捉えられます。

 

そのため、僕が先ほど書いた「円卓の騎士の、敵としての存在感が希薄」という感想が出てくるのかもしれません。

実際、『前編』で一番描写が少なかったのは獅子王側の円卓の騎士だと思います。

 

その代わりに尺を取って描かれていたのが、物語中の役割が拡大した藤丸立香とアーラシュなどです。

『前編』は「ベディの心のロードムービー」ですから、ベディの再起を促すのに必要な存在として彼らふたりがいたわけです。

 

では、一旦ここでアーラシュの話をします。円卓についてはさらに後の項で再び書きます(笑)

 

魅力的な兄貴分・アーラシュ

特にアーラシュはベディとの絡みが相当増えていて、しかも原作より明瞭にベディを導く立場として描かれています。

これを顕著に示すセリフが、アーラシュの「自己犠牲なんて、見習うもんじゃあない」です。

 

原作にて、アーラシュは千里眼でベディの内実を見抜いていましたが、あえてそこには触れずにい続け、最後にステラを放つ直前でこう言葉をかけました。

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 「第12節 炎の村」より。これとほぼ同意のセリフを映画でも言っています。

 

ここで「さんざん説教」とアーラシュは言っていますが、原作だとそこまで突っ込んだ物言いはしていません。 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

「第11節 死を告げる晩鐘(1/2)」より

 

わりとソフトな言い方をしていることが分かりますね。

一方映画においては、冒頭でまず直接的に「破滅に向かいたがっている」と指摘。 

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

続けて、山の民の村で再会すると、「ひとりで背負い込むのはやめたらどうだ」「自己犠牲なんて、見習うもんじゃあない」と告げました。

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

上記2つの場面は映画オリジナルですから、原作と比べると、ベディに対する距離を詰めていると見れます。

とりわけ「さんざん説教~」と結びつく前置きのセリフとして「自己犠牲を見習うな」を置いたことで、先述したようにアーラシュはベディを導く役割を担っていることを印象づけています。

 

ステラを見届ける役といえば俵藤太ですけれども、ご存知の通り映画ではカットされています。

藤太とアーラシュの会話も好きでしたが、それをカットする代わりにベディに覚悟を示すという、かっちょよくて頼れる兄貴分としての魅力を発揮したので、僕はひとまず良しとしています。

 

実際、もっとアーラシュが好きになったよ!!これからもFGOでステラ愛用するね!!!!

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

リニューアルされたステラァァァァ!!!

 

 

それでも円卓の描写が欲しかった|尺不足…。

では、アーラシュから円卓へと話を戻します。
ベディ&藤丸サイドの物語に時間をあてた結果、円卓が……!!(笑)

 

いくら「『前編』は『後編』の“前振り”」で『後編』で円卓を描くのだとしても、前編』は描写が薄いと言わざるを得ません。

『前編』は『前編』の範囲内で、ある程度でも扱う必要があったかと思います。 

 

なので僕は、こうなった一番の原因であろう尺不足を問題視しています。

(制作会社も違いますし)安易な比較は良くありませんが、同じく原作が長大なFateのHF1~3章はどれも約120分の上映時間なのに、『キャメロット前編』は90分ほどしかありません。

 

この差は一体全体何……??
せめて100分ちょっとでもあったらだいぶ変わるやん……???
『後編』も90分らしいけど、尺を決めたの誰……????

 

しかし、尺の長さについてここで考えられることは少ないので、『前編』での円卓の描写について書いていきます。

 

①ガウェインの強さが伝わってこない

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

キャメロットでのガウェインといえば、とかく理不尽なまでの強さでマスターに鮮烈な印象を植え付けたことは言うに及ばずかと思います。

 

しかしそれを映画で表現できていたかどうか振り返れば、正直なところ否、です。

 

そもそも戦闘時間が短かったことも要因のひとつですが、僕としては、ガウェインのギフト“不夜”にベディが対抗するときの描写を挙げたいところです。

 

(なお、映画中でギフトについての説明がなかったことは僕は気になりませんでした。原作を知っている人が観客の大多数でしょうし)

 

映画では、

①不夜ガウェインに対しベディがアガートラムを使用。
不夜が破られ、あたりは闇に包まれる。ガウェインも倒れる。
③その間に藤丸たちと共に逃走。

という流れでした。

 

しかし、原作では不夜を完全に破ってはおらず、一時的に押しとどめたのみです。
そうして生まれた隙をついて閃光弾などを使い、かろうじて逃げ延びた、という筋書きになっていました。

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

「第4節 嘆きの壁」より

 

原作では、「王に命じられていないことはしない」とでも解釈できるようなガウェインの方針により、見逃されたに過ぎないとも言えます。

 

また、これはガウェインの圧倒的な強さだけでなく、獅子王に対するガウェインの(端から見るとやや歪にも見える)忠義の在り方を示したという点でも意味のあるシーンと受け取れます。

 

それが映画では、前掲の流れに変わっているために、「ガウェインあんまり強くないな?」という印象しか湧いてきませんでした。

 

「原作改変・再構成は絶対悪!」などと言うつもりは毛頭ありません。必要に応じて変更した際、そこに納得できるだけの描写や理由があれば、僕は肯定的に改変を受け入れるというスタンスを取っています。

 

しかし嘆きの壁でのガウェイン戦は、『キャメロット』全体で見ても相当に重要な出来事であり、大きな改変は僕にとって容認し難いのです。

 

なんでここまで変わったんでしょうね……元のままで「負け戦」感が強すぎると、メリハリを演出しづらいからでしょうか……?

 

②獅子王と騎士王|異常な円卓

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

続いては、獅子王/騎士王の描写について。
これはベディヴィエールとの関連を考える上でも非常に重要です。

 

獅子王といえば、精神や思考が“神霊”化し、元のアーサー王(アルトリア)とはかけ離れてしまった存在です。

『キャメロット』で見せつけた、神ゆえの冷たい暴虐さの与えた衝撃は、特にstay nightでのセイバーを知っている人にとって計り知れないものがあります。

 

ですが、それを『前編』で表現しきれていたかというと、やはり否です。

確かに、聖罰を命じたりガウェインを罰したりと、窺わせる言動はありましたが、配下の円卓との会話を劇中にもっと盛り込んで欲しかったですね…。

 

『前編』において、ガウェインを罰するシーンは、“そこだけ”しか描かれていませんでしたが、原作ではその前後で円卓たちの会話があったことを覚えていますでしょうか。

 

以下に原作での流れを書きます。

①聖罰での失態を獅子王に報告しようと、ガウェインは補佐官アグラヴェインに取り次ぐが、謁見できない。

 

②アグラヴェインは「私から伝えてある。王の心を煩わせるな」と告げる。

 

③トリスタンがガウェインの不手際を知り、自分の手で処断しようとする。 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

「第5節 敗走(1/2)」より

 

③モードレッドがそれを止める、と思いきや「殺すなら王自らやる!」と発言。

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 「第5節 敗走(1/2)」より

 

④ガウェインは申し開きもせず、そこへ現れた獅子王により罰せられる。

 

⑤その後、アグラヴェインがモードレッドの配置について獅子王に進言したところ、「ガウェインと堅さを競い合いたいのか?」と警告される。
(ただし脅すようなトーンではない) 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

「第5節 敗走(1/2)」より

 

獅子王は聖罰における短い登場時間の後、上記の①~③では姿を見せずに“溜めて”おき、④で場の緊張が頂点に達し、そして、そこで初めて人物像が直接に分かる描写がなされています。

 

この一連のやり取りを見ると、生前とは異なる「異常な、怖い円卓」の姿と「獅子王の冷たく無感情な暴虐」が十二分に伝わってきます。

 

「円卓なのになんで王と謁見できない状態が続いてるの?」
「トリスタンがガウェインを殺す……??」
「モードレッドは仲裁したいわけじゃないんかい!」
「円卓の距離感がおかしいぞ」
「獅子王……怖ろしい……!!」

といったような、様々な感想がここから得られるのではないでしょうか。

 

しかし映画では、ガウェインが罰せられる④の場面しか出てきませんでした。
④だけあっても緊張感の高まりに欠けますし、獅子王と円卓の、尋常でない様子も描き切れません。

 

『前編』劇中で、「認めがたいことですが、今の円卓は間違っている(ベディ)」「今のアーサー王は異常(ダヴィンチ)」といったセリフがありましたけれども、それをより効果的に観客に訴えるなら、ここはカットすべきでなかったと思います。

 

第1節など、他でもちょくちょく出てくる異常な円卓たちの会話を、全て脚本に取り入れるのは不可能だとしても、せめて上記の「第5節 敗走(1/2)」はやってほしかった……。 

 

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©TYPE-MOON / FGO PROJECT

 「第1節 砂の洗礼(1/2)」より

 

そして獅子王に変貌してしまう前の、騎士王の描写についても言わねばならないことがあります。

『前編』作中にて、ベディヴィエールが見た夢/回想で、印象に残ったところはどこですか?と聞いたら、多くの方が「カムランの丘のシーン」と答えるかと思います。

 

念のため書いておきますが、僕はあのシーンが好きです。

生前の円卓たちに起こった悲劇を象徴的に表すと同時に、ベディヴィエールの犯した罪を暗示(「なぜ我が命を果たさぬ、ベディヴィエール」というセリフのことです)していて、演出的に優れていました。

制作された方たちのこだわりのシーンであることも、パンフレットやインタビュー記事にて語られています。

 

ただ、「かつてのブリテンで見た、アーサー王の笑顔」をベディが回想するシーンは、演出がいささか不十分でしょう。

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

「第8節 星の三蔵ちゃん、天竺から帰る(1/2)」より

 

なぜこの場面を重要視しているのかと言えば、すなわち、果てしのない贖罪の旅路を、ベディヴィエールが歩み続けられる理由を描いているためです。

どんなにか永く苦しい道のりであっても、彼が決して足を止めなかったのは、ひとえにアーサー王の笑顔を、真実を目にしたからです。

 

このことは原作終盤でも語られています。

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

「第17節 レプリカ(5/5)」より

 

「アーサー王の笑顔」の回想は、ベディの行動原理になっているのみならず、もはや『キャメロット』の根幹に通じる場面と言えるのです。

 

また、ここでは、ベディヴィエールがアーサー王に登用された理由なども語られていました。

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

「第8節 星の三蔵ちゃん、天竺から帰る(1/2)」より

 

他の円卓の騎士に比べて武勇に秀でているわけでもないのに、という趣旨のことをベディが申し上げると、その考え方を正された上で、「人々の暮らしをつぶさに感じ取れる心細やかな騎士が要る」という言葉を賜ります。

 

たとい精霊の加護も、太陽の加護も、天賦の才もなかったとしても、アーサー王の助けとなれるという事実が、ベディヴィエールの胸にもたらした感銘の深さはいかばかりか。

 

このようにして、ベディヴィエールはアーサー王の言葉と笑顔を源として、『キャメロット』では強さにおいて格上の円卓たちと戦っていくのです。

 

騎士王と獅子王の違いを浮かび上がらせるという点でも、これ以上ないほど大切な回想ですし、もっと劇的に、もっと尺を取って演出してほしかったです……。

カムランの丘と比べると、印象に残りにくい「さりげない一場面」に留まっていたように思います。

 

いろいろ書きましたが、『後編』の回想でしっかり描く予定ならまだ納得できますね……。

 

【追記】
解禁されている予告を見る限りでは、『後編』でしっかりやってくれそうです!!
描く順番・山場を原作と変えているだけだとすれば、この不満点に関してはまぁいいかな……と思っています 笑

 

③モードレッドとトリスタンのギフト描写が…?

さて、この記事を書いてる僕はかなり疲れました。

 

大学の卒業論文みたいなボリュームに近づきつつあります。
読んでくださっている方も疲れておられるのではないでしょうか 笑

 

特に力を込めて言いたかったことは大体書けたので、ここからは簡潔に、サクサク行きたいと思います。

 

円卓に授けられたギフトの描写ですが、ガウェインにはあるのにモードレッドにはなかったのが気になりました。 

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

ランスロットの“凄烈”のように映像で表現しにくいものはともかく、モードレッドの“暴走”は視覚的に伝えやすいと思うんですよね……。

 

近いイメージとしては、HFのセイバーオルタが挙げられるでしょう。 

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©TYPE-MOON・ufotable・FSNPC

 

(原理は違うにしても)宝具を連発する、というところだけは似てるわけですから、スクリーンで観たみたかったなぁ。

 

とはいえ、これも制作上の理由があります。

〇「サーヴァントという超常の存在が本当にいたら、どんなふうに戦うのか」を絵にしていくという方向性で決まったんです。

 

〇「動きが軽くならないようにしよう」とも話していましたね。重い剣を振り回しているなら、その剣の重さを見て取れる動きを表現しようと。

 

出典:劇場版『Fate/Grand Order -神聖円卓領域キャメロット-』[前編 Wandering; Agateram]パンフレットより

 

モードレッドに限らず、騎士たちの一撃が重々しく描かれているなぁ、とは僕も観た時から感じていました。 

これはこれで面白い表現だとは思いますが……うーん(笑)

 

サーヴァントバトルについては『後編』の領分なので、そちらで描かれているといいですね。

“ギフト”を授けられたことで、通常のサーヴァントをも超える脅威と化した存在として表現することもまた原作再現のひとつなので、期待がかかります。

 

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

今度はトリスタンについて。

トリスタンが“反転”によって残酷な敵になっていたことも、少々分かりづらくなっていました。
これは、原作での非道な行いがほぼカットされたためです。 

 

『前編』で描かれる「第12節 炎の村」までの範囲でざっと取りあげても、

①自らの命と引き換えに見逃すよう煙酔のハサンが願っていた難民たちを虐殺する。

②聖罰での失態を理由に、ガウェインを手にかけようとする。

③理不尽な理由で配下の兵士を殺す。

④山の民の村を襲撃し、住民たちを殺戮する。

⑤「虫は虫らしく……」などと言って、静謐のハサンを徹底的に詰り苦しめる。

⑥ベディヴィエールの言うことに取り合わない。

 

これだけあります。
特に①の胸糞度はすさまじかったです。

 

『キャメロット』が原作にて配信された当初は、トリスタンめちゃくちゃ嫌われてましたからね……。
僕もトリスタンの顔を見るだけで「こいつ!!」ってなってました(笑)

 

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

映画では④の山の民殺戮と、⑥のベディとの問答しかなかったので、“反転”していることが伝わりにくかったと言えます。

まぁ、トリスタン関連の場面は優先順位がやや低めになるでしょうから、致し方なし!
ただ、②のトリスタンがガウェインを殺そうとするところは入れられたとは思いますが……!!(笑)

あ、フェイルノートの音が「ポロロン♪」 じゃなかったのは個人的に良かったなと感じてます。

ゲームでのあの音も好きですが、映画でやられると笑っちゃいますからね。絶対。 

 

ベディヴィエールVSトリスタン戦の真剣なやり取りには、あの重く響く弦の音の方が合ってます。

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 「第12節 炎の村」より

 

ちなみに、このシーンの声優さんの演技が、『前編』中で僕の随一のお気に入りになってます。
Blu-rayで観返す日が待ち遠しいなぁ。

 

 

原作と映画の違い|まとめ

この項は本当に雑に書きます(笑)

 

原作と映画とでは改変点やカットが多すぎて、その全てをちゃんと書ききるのが大変なんです。
「改変点まとめ」と記事タイトルに銘打っておきながら、あきらめました。


でも主要なところはこれまで書いてきましたので、お目こぼしくださいませ(笑)

 

ただ、再度申し上げておきたいのは、「改変やカットをしているからダメ」と言いたいわけではない、ということです。
ひとつひとつをあげつらって不満を漏らす意図は断じてなく、「このように違うという事実」のみをここで確認していきます。

では、ササッと見ていきましょう。

 

移動ルートの違い

まず、藤丸たちの足取りが違います。これは画像で見ていただいた方が分かりやすいでしょう。 

 

〇劇場版

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これの©ってどうなるんでしょうね?

 

〇原作

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聖晶石の数は秘密です。

 

文字で書き起こすと以下の通りになります。

〇劇場版
砂漠 → 聖都 → 大神殿 → 東の村・晩鐘廟 → 円卓の砦 → 東の村・晩鐘廟

 

〇原作
砂漠 → 大神殿 → 荒野 → 聖都 → 東の村 → 西の村 → 円卓の砦 → 西の村 → 東の村 → 晩鐘廟 → 東の村

 

大きな違いは「聖都と大神殿に行く順番」「山の民エリアの扱い」ですね。
前者は藤丸とオジマンディアスの出会いを、後者は西の村と晩鐘廟の扱いを変化させています。

 

展開の違い

続いてはストーリー展開の違いです。 
劇場版と原作の流れや印象的なセリフなどを、簡単に書き起こしました。

 

ただし、原作の方は内容を少し詳しく書いてあります。

映画は簡単なメモでもストーリーを思い出せるかと思いますが、原作はプレイしてから時間が経っていて、内容がうろ覚えになっている方も多いだろうと想定しているからです。

(あと単純に、原作はメモを取りやすかったからです 笑)

 

そのため、映画の説明がやや簡素になりすぎてしまいましたが、印象操作をしようなどという意図は決してありません。

 

「劇場版」で赤字になっているところは、「全体的に映画オリジナルと言えるシーン」を表しています。

一方、「原作」で青字を用い表記しているのは、「映画で一部 or 全部カットされたシーン」です。

なお、こちらでは劇場版で扱われた原作の第12節までしか書いていません。

 

※オリジナルだったりカットだったりを判断する線引きが難しく、的確に分けれていないかもしれませんがご了承ください。

 

〇劇場版

冒頭、マーリンがアヴァロンから送り出す
ベディ砂漠を歩く
「我が王を殺すのだ」

 

藤丸たち、砂漠を進む
ロンゴミニアド跡発見
聖都前の街で情報収集。ベディ、アーラシュと会話、いろいろ見抜かれる
そこへダヴィンチ合流
ルシュドに飯せがまれベディ拒否、藤丸があげる
ルシュド母からいろいろ情報聞く

 

聖罰、ルシュドの母殺される
藤丸、マシュ飛び出す
ガウェインVSマシュ
ガウェインに負けそうになりベディがアガートラム
なんとか逃げる
アーラシュがひそかに援護
ガウェイン罰せられる
ランスロットが後を追う

 

カムランの夢
ガウェインVSランスロ
「なぜ争っているのです…」
「王は人の心が分からない」
騎士王から獅子王の幻影「なぜ我が命を果たさぬ」

 

ベディ目が覚める、藤丸やダヴィンチと会話
ランスロット現る
ダヴィンチ特攻(開始20分くらい?)
マシュ「円卓の人は憎めない」
ベディ「あの蛮行を止めなくては」

 

オジマンのところへいくことにした
ニトクリスとスフィンクスに遭遇、スフィンクス寝る
そのまま連れてかれる
ファラオたる余に従えと言われるが、藤丸は拒否
聖杯を見せられる
三蔵がなだめる
藤丸とベディがエジプト領を様子見するが、長持ちしなさそうだと気付く
マシュとニトクリスの風呂シーン
マシュ「英霊の力を使えなかった、助けられなかった」
ニトクリス「ファラオでも救えない、貴女はよくやった」
翌朝、藤丸は再度服従を拒否
ファラオは怒り、藤丸たちを追い出すが、三蔵を護衛につける
藤丸は勢いで飛び出してきたが、あてもない
ルシュドの母のペンダントが示した地図により山の民のところへ
夜、ベディと藤丸会話
ベディ「偉大な王だった、なんの取り柄もない私を取り立ててくださった」
藤丸「戦えるの?」
ベディ「だからこそ、私が止めなくては」

 

入村を呪腕に拒否されるがアーラシュが取りなす
山の民と飯食って宴
山間の川でベディとアーラシュが会話
「自己犠牲なんて見習うな」「その腕はあと何回だ?」
呪腕と協力することに
山の翁の霊廟に入ろうとするも、別の村が襲われ静謐がさらわれたので救出へ

 

藤丸一行、円卓の砦へ
モーさんVSベディ
「太陽の加護も精霊の加護も天賦の才もない
しかし王は最後まで取り立ててくださった」
モーさん激高、罵倒する
「余った席に座っただけの三流が」
「お前は王の覚えがめでたいだけのチキン野郎だ」
その間に地下牢の静謐解放
地上に出たらアッくん
三蔵VS粛清騎士
「私のお弟子が教えてくれたわ」
「正義を成すなら導かないと」
もう一回モーさんVSベディ
アガートラムして退避

 

村がランスロットとトリスタンに襲われる
呪腕とアーラシュが迎撃
アーラシュ、ランスロットに不意打ちされオーバーロード 
ベディ、トリスタンに怒る、アガートラムも開放
しかしトリスタンにおされる
マシュが出てきて宝具使う(令呪のバックアップも)
再度アガートラムしてトリスタンダウン
するとロンゴミニアド
アーラシュ、ステラして相討ちに持ち込む
ベディそれを見届ける
「今度こそ、我が王を殺すのだ」
決意固めてEND

 

〇原作 

アバンタイトル

マーリンがベディをアヴァロンから送り出す、ベディ砂漠に立つ
マシュとロマニ、初めて会話する(過去の回想)
マシュの状態について藤丸がロマニから聞く
第六特異点についてのブリーフィング及びレイシフト

 

第1節  砂の洗礼

1/2 三蔵聖都を出る、円卓たちの会話
藤丸一行砂漠に立つ、ゲイザー、粛清騎士、スフィンクスと交戦

 2/2 藤丸たち、神殿に向かったところでニトクリスをさらった百貌のハサンと交戦
助けるもニトクリスに誤解されまたもや戦いに
そこへルキウスが助太刀、スフィンクス撃破
ニトクリスようやく話を聞いてくれる
神殿に客人として立ち入ることを許される

 

第2節  太陽王の晩餐

1/2  ルキウス、神殿には行かずここで藤丸たちと別れる
ニトクリスからオジマンディアスのことなどを聞く
エルサレムは消滅、オジマンは民と共に召喚されたという
試練と称してスフィンクスをけしかけられるが撃退する 

2/2 神殿にてオジマンに拝謁
特異点の状況や、オジマン自身の立ち位置、聖杯などについて話を聞く
13世紀の中東に紀元前のエジプト領
聖都こそが特異点の原因
首が時々ズレる
この世界を見聞してこいとオジマンに言われエジプト領から追い出される
もらった物資でダヴィンチがバギー作成

 

第3節 東へ

1/2 聖都へ向け砂漠をひた走る
ロマニをはじめとするカルデアスタッフの仕事についてダヴィンチが話す
エジプト領である砂漠を抜け荒野に突入

2/2  2日ぶりにロマニとの通信が回復、状況を整理
獅子王≠獅子心王リチャード一世、十字軍は壊滅した
「心を失った者」に聖都に行くことへの警告を受ける
難民を連れ逃亡する煙酔のハサンを目にする
煙酔のハサン、自分の命と引き換えに難民を救うことをトリスタンに願い自害する
しかし、トリスタンは言葉の裏をかき難民を皆殺しにしてしまう
藤丸たちはそれをただ見ていることしかできなかった
煙酔のハサンの残滓と戦う
その後、別の難民一行に出会い、「聖抜の儀」について話を聞く
難民たちと別れ、100キロの道のりを聖都へと向かう

 

第4節  嘆きの壁

聖都に到着、聖抜に臨む
盗賊集団を率いるセルハンを撃退
ガウェイン、獅子王現る
このタイミングで不夜により昼になる
しかし聖抜は、聖罰だった
難民たちが虐殺されていくが、藤丸たちは少しでも助けだそうと戦いを挑む
ルシュドを庇い、母が粛清騎士に斬られてしまう
マシュが飛び出すが、間に合わない
ついにガウェインと交戦するも、歯が立たない
いくつかの問答の後、あわや斬られんとする時にルキウスが加勢、ギフトを押し返す
ダヴィンチが閃光弾で目眩まししてなんとか撤退

 

第5節  敗走

1/2  聖都から逃げる藤丸たち、ベディと共に追手の粛清騎士と交戦
ガウェイン、聖罰での失態を王に申告しようとするも、アグラヴェインに諫められる
トリスタン、ガウェインを処断しようとする
モーさんそれを止める
そこへ獅子王、自ら手を下しガウェインに死の一撃を見舞う
ガウェインは
聖都外壁まで飛ばされるが命は助かる
アグラヴェインがモーさんの配置について進言したところ、聖槍を食らいそうになる
アグラヴェイン、ランスロットに藤丸たち反逆者の討伐を要請
藤丸たち、難民たちと話をつけ北の山岳地帯へ向かうことに
ベディが両者の間を取り持った
ベディが聖都で姿を見せたことの真意についてロマニに尋ねられる
ベディ、王に謁見するためだと話す
円卓に授けられたギフトについてダヴィンチが分析、それを破れるのはアガートラムだけ
「あと一、二回では?」とダヴィンチが問いかけるが、ベディ口を濁らす
休息を終え出発、あともう少しで到着というところへ追撃の第一陣が
ダヴィンチ、ランスロットのいる第二陣へ特攻
その直前にダヴィンチとロマニが会話
藤丸、ダヴィンチの救援に向かおうとするが、ベディに止められ、山へ向かう
ランスロットの部隊、人的被害は少なかったものの馬を失ったため、一度立て直してから山狩りをすることを決定

 

2/2 ベディがアーサー王語録を披露
ゲテモノ肉をみんなで食らう
荒野に点在するクレーターに気づく
ルシュドが「獅子王の裁き」だと説明

 

第6節  東の村の冒険

ようやく村の近辺に辿り着くが、呪腕のハサンが立ちふさがる
難民は受け入れる一方、藤丸たちには警戒を向け戦うことに
これを無力化する
なおも呪腕は抗おうとするが、アーラシュがそこへ割って入る
ルシュドも願い出て呪腕は村へ皆を招き入れた
村にてアーラシュに自己紹介するなど、談話をする
その後狩りをして村の助けをする
夜、ベディがマシュに真名を聞く
マシュの在り方に理解を示すベディ
ベディはあえてマシュの中にいる騎士の真名を明かさない
ベディは藤丸たちに、獅子王と戦うことの覚悟を問う
翌朝、呪腕と共闘する意志を固める
西の村がモードレッドにより襲撃されていることが分かった

 

第7節  遊撃騎士モードレッド

西の村までは2日かかるが、「アーラシュフライト」により大幅に圧縮
モードレッドと交戦、ベディはモーさんに罵倒される
モーさん、宝具でクラレントごと自爆しようとするのをアーラシュが妨害し、諭す
モーさんにアーラシュが停戦を持ちかけ、了承される
ベディ、無理がたたり倒れる

 

第8節  星の三蔵ちゃん、天竺から帰る

1/2  ベディ、かつての記憶を夢に見る
なぜアーサー王が自分を取り立ててくれたのかを知り、そしてアーサー王の笑顔を、真実を目にした
一方藤丸たちは、ベディの伝説における聖剣返還の逸話について聞き、彼の心情を思いやった
百貌のハサンと対面、信用できないと言われてしまう
静謐のハサンが円卓の砦に捕まったままになっているため、救出に向かうことになる
ハサンたちへの「人質」として、ベディを置いていくことに
(「人質」は口実。ベディが休息するのにちょうどいい)

 

2/2 聖都を出て荒野を彷徨う三蔵、動物に襲われ泣いていた
(三蔵はオジマンに会ったことはない)
藤丸、三蔵を助け仲間に加える
三蔵はそれまで藤太と一緒にいたのだが、藤太が静謐と同じ砦に捕らわれているので助け出すことに

 

第9節  毒の花、鉄の剣

地上での陽動を百貌が、地下牢への侵入をそれ以外のメンバーが行うことに
俵、静謐を続けて救出する
その時誤って静謐とキスする
砦にアグラヴェインがやってきて、鉢合わせる
三蔵に円卓に座れと命じるアグラヴェイン
アグラヴェインはギフトをあえて授からなかったことが判明する
狂化を施された粛清騎士との戦闘に突入、しばらくすると静謐が毒を用いて粛清騎士を昏倒させる
アグラヴェインはそれを事前に察して撤退

 

第10節  宴、西の村

1/2  地下牢から地上に出て百貌と合流、村へ帰る

 2/2  藤太の宝具で大量のお米を提供、村で宴を開く
マシュ、藤太の宝具の在り方に感銘を受ける
円卓の砦では、一部の兵士がトリスタンに咎を受け殺される
山の民たちとカルデアは手を組み聖都攻略を計画する
ガウェイン打倒のため、初代山の翁の力を借りることを検討する

 

第11節  死を告げる晩鐘

1/2  東の村に立ち寄り、初代山の翁について話を聞く
その後アズライールの廟に向け出立
夜営時、マシュと三蔵が会話
三蔵が戦う理由などについて聞き出す

2/2   アズライールの廟に入るが、静謐が初代山の翁に意識を乗っ取られ、戦うことに
その後、山の翁本人が現れるものの、藤丸たちが「人理焼却の因果」を知るまでは力を貸せないと言う
「それを知るために砂漠の中のアトラス院に行け」と山の翁は助言し姿を消す

 

第12節  炎の村

東の村への帰路で、遠くに無数のかがり火を視認し、村が襲われていると判明
アーラシュは村に近づかれる前に応戦していたが、ランスロットの奇襲に遭い倒れてしまう
(ランスロットはアーラシュを仕留めたのち、早々に下山)
藤丸たちは、燃え盛る村でトリスタンに出くわす
トリスタンは、砦からの足跡を追跡し村を発見していた
ベディ、トリスタンの蛮行に対し怒りを見せ、宝具を使うが、押しきれない
そうして戦っているうちに西の村へロンゴミニアドを落とされてしまう
次いで東の村にも裁きの光が落ちてくるが、アーラシュがステラを放って相殺する
藤太はそれを見届けた
明くる朝、藤丸たちはハサンと別れ情報を得るため砂漠のアトラス院を目指すことに

 

  

こうして見比べると、結構差異のあることが分かりますね。
僕からひとつひとつをご説明するのは体力的に無理なので、恐れ入りますが各自でチェックしてみてください……(笑)

 

Q & A コーナー

一応、映画を観て「?」ってなりやすいところに対して、簡単に僕のコメントを最後に書いておきます。

 

〇ニトクリスとマシュの風呂シーンはなに?

→ 監督の末澤さんがこだわりを持って制作されたシーンです。

「ただのサービスシーンではなく、自分としては“水を感じさせるシーン”が欲しかったんですよ

物語の舞台が乾いた大地ですし、その直前は砂漠を旅するシーンが続いていたので、シーン的にもモチーフ的にもウェットなものが欲しいなと。

 

出典:劇場版『Fate/Grand Order -神聖円卓領域キャメロット-』[前編 Wandering; Agateram]パンフレットより

 

個人的には、安らぎを表現できていてとても良い一場面だったと思ってます。

 

〇藤丸と静謐のハサンとのキスシーンはなんなんだ。

→ 原作でもあるのでノープロブレム。

 

〇ベディヴィエール、アガートラム使いすぎじゃない?特にトリスタンには2回も使ってた。

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

→ (断言はできませんが)回数はおそらく原作通りです。

原作でのアガートラム使用時の光の演出や、使用後の肉が焦げる音の演出の回数から、一応そう判断できます。

なお、映画でトリスタンは深い傷を負っていましたが、原作だとギフトによりわりとすぐに完治してます。

 

また、映画ではアーラシュに、アガートラムを使える回数について「あと数回ってところか」と言われていましたが、原作ではステラする直前に「あと一回だけだ」と忠告を受けています。

 

あ、話が変わってしまいますが、ベディが「スイッチオン・アガートラム!」と言って手刀を繰り出してるのは気になりました。

 

「スイッチオン~」は、宝具「銀色の腕」の戦闘用起動を行い、ベディの身体能力などを向上させているのであって、手刀で一閃する技には「デッドエンド・アガートラム」という名称がついています。 

 

実際、ゲームでは「デッドエンド~」と言ってるんですよね……。

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©TYPE-MOON/FGO PROJECT

 

〇ランスロットはアーラシュにオーバーロード食らわせたあとどこ行ったんだ?

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©TYPE-MOON / FGO6 ANIME PROJECT

 

→ 早々に下山したことを原作ではトリスタンが感づいています。

ランスロットに命じられたのは「アーラシュを斬る」ことだけでした。悪・即・斬ならぬ斬・即・帰です。さすがは円卓随一の効率厨。

 

ランスロットがそそくさと帰ったのは、村民の虐殺に加担したくなかったからだと思われます。
(彼は獅子王には内密に難民キャンプを作り、各地の難民を匿ってましたしね)

無辜の民を手にかけるかどうかで、トリスタンとは信条が異なっています。

 

以上、僕がリアルの知り合いとの間で交わしたQ&Aをお送りしました(笑)

 

 

おわりに

とても長い記事になりました……。
もし最後まで読んでくださった方がおられましたら、感謝をお伝えしたいです。

 

本当は、藤丸立香らカルデアや、エジプト勢などのことも書きたかったのですが…………

………………

やめました。(リンボ

 

と言うのも、またしても字数が多くなりますし、何より僕が疲労困憊なので(笑)
同様の理由につき、いつもは書いている最後の記事内容まとめも今回は載せていません。

 

さて、いろいろお話ししてきましたけれども、つまるところ僕はこの映画が好きです。

 

きっと『後編』の方も5回くらい観に行くことになるでしょう!

『前編』では登場時間がめっちゃ短かったランスロットの活躍が見たい!僕の推しなんですよね!
他にも6章/zeroとか、映像で見るのが楽しみなところが多くて多くて、ずっとワクワクしてますから……!!

 

予告映像を貼っておきます。『前編』から制作会社やスタッフが変わっているので、作画の雰囲気がかなり変わってますね。 

www.youtube.com

 

以上です!!! 

 

『後編』感想記事↓ 

www.kakidashitaratomaranai.info

 

( ↑ Amazonへのリンクです)

 

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